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大阪高等裁判所 昭和48年(う)1303号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

被告人井上彰に対し当審における未決勾留日数中一、五五〇日を原判決の本刑に算入する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人大倉道由、同中垣清春連名作成の第一控訴趣意書及び弁護人大倉道由作成の第二ないし第五各控訴趣意書記載(但し、第一控訴趣意書五九枚目表終りから四行目に「齊本の行為に違法性はない。」とあるのは、齊本の行為の違法性を判断するについての前提事実の誤認を主張する趣旨であり、第三控訴趣意書四枚目裏六行目から七行目にかけて「つまり渡したことに違法性がない。」とあるのは、被告人山口の行為の違法性を判断するについての前提事実の誤認を主張する趣旨であり、同控訴趣意書五枚目表末行目から裏一行目にかけて「弁護人の主張を排斥したのは、違法不当であると云わざるを得ない。」とあるのは、同被告人の行為の期待可能性の有無を判断するについての前提事実の誤認を主張する趣旨であり、第五控訴趣意書二枚目表五行目から七行目にかけて「(但し、第六の(一)、(二)の所為は暴力行為の包括一罪と考える。)」とあるのは、量刑不当の一事情として主張する趣旨であり、法令適用の誤りを主張する趣旨ではない旨の釈明がなされた。)のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中原判示第一の事実に関する理由不備の主張について

論旨は、要するに、判決は被告人に対し宣告されるものであるから、判決にはその趣旨が被告人にも理解され得る程度の具体的な判示がなされる必要があり、その程度の具体性を具備していない判決は刑訴法四四条、三三五条に違反し同法三七八条四号前段に該当するものと解すべきであるところ、原判決は、原判示第一の事実につき、被告人柴田、同脇山、同田中、同齊本、同井上、前田満久及び被告人橋本の間に共謀共同正犯が成立する理由として、被告人柴田が被告人脇山、同田中、及び同齊本に対し石原巡査に「暴行」を加えることを指示し、この指示が逐次他の被告人らに伝えられて右被告人ら全員の間に順次石原巡査に暴行ないし傷害を加えることの共謀が成立した旨の事実を認定判示しているが、原判決が右のような認定をする以上、右「暴行」の具体的内容が示されない限り、石原巡査に暴行を加えることを指示したものと認められた被告人柴田はもちろんその指示を受けあるいは伝えられたものと認められた他の被告人らは何故に原判示第一の事実につき共謀共同正犯の成立を認められるのか理解し難く、また、原判決は、原判示第一の事実中において、「被告人脇山はこの様子から被告人柴田の意図を察し」と判示しているが、この「被告人柴田の意図」も如何なる意図を意味するのか被告人らにとつては全く理解し難いから、これらの点につき原判決には理由不備の違法がある、というのである。

しかしながら、原判決の示す右「暴行」が如何なる暴行であるかが具体的に明示されていないからといつて、原判決が右被告人らに対し原判示第一の事実につき共謀共同正犯の成立を認めた理由が判文上訴訟関係人に理解し得ないはずはないのみならず、原判決の示す「被告人柴田の意図」が如何なる意図を意味するかの点についても、原判決の判文によれば、原判決の示す「被告人脇山はこの様子から被告人柴田の意図を察し、」とは、同被告人が、被告人脇山らに対し石原巡査に暴行を加えることを指示した直後、平原司に対し「早うおれの家へ行つて井上を呼んでこい」と怒鳴り、平原の態度が緩慢なことに激昂して「早う行けというのがわからんのか」といつて同被告人の頬を殴りつけたりしたことから、被告人脇山は被告人柴田が被告人井上を呼び寄せて石原巡査に暴行を加えさせようと意図しているものと察知した趣旨であることが訴訟関係人にも理解できないはずはないから、原判決には所論のような理由不備の違法は存在しないものといわなければならない。論旨は理由がない。

控訴趣意中原判示第一の事実に関する事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、原判示第一の事実中次の諸点につき事実を誤認しており、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのであるから、当裁判所は次のとおり判断する。

(一)  論旨は、要するに、原判決は、「巡査石原克巳(当時二九歳)は、……前記『レツド』の取締に赴き、同店の表戸を開けようとして開かなかつたため、同じ建物のアパート元禄荘の入口から同店の裏口に回り、裏戸を開けて、同店にいたバーテン山口修に表戸を閉めて営業しないよう注意していたところ」と認定判示しているが、石原巡査が原判示スタンド「レツド」の裏口に回つた後自分が同店の表戸を引つ張つたら開いた旨の証人中村邦男の原審公判廷における供述によれば、同巡査が右表戸を開けようとして開かなかつた旨の原判決の右事実認定は誤つている、というのであるが、石原巡査が前記「レツド」の表戸を開けようともしないでいきなり裏口から同店に立ち入らなければならない特段の事情は見当たらず、山口修も、原審公判廷において、当時同店表入口のドアが開かない状態にあつたこと自体は認めているのであつて、これらの点に徴すると、原判決の右認定に副う証人中村邦男の原審第二六回公判調書中の供述部分、証人黒木隆の原審第二九回公判調書中の供述部分、証人今川幸生の原審第二一回公判調書中の供述部分及び証人榎本久之の原審第三三回公判調書中の供述部分は十分信用し得るものといわなければならず、右各供述部分によれば、石原巡査は、前記「レツド」の表戸の取つ手を何回も引つ張つたり回したりして開けようとしたが開かなかつたので同店の裏口に行き、次いで、同巡査と共に同店に来ていた中村、今川両巡査も右表戸を開けようとしたが開かなかつたことが認められ、山口修が、原審公判廷において、右表戸が開かなかつた理由につき、カーテンがドアに引つかかつていたため開かなかつた旨供述している点は、同人が検察官に対する供述調書中において右のような供述をしていない点等に徴して信用し難いから、石原巡査が同店に赴き表戸を開けようとした当時同店の表戸は施錠されていた(右表戸の内側に金属製差込み式錠が取り付けてあることは司法警察員作成の昭和四五年九月二五日付け検証調書により明らかである。)ものと推認するのが相当であり、そうすると、石原巡査に次いで同店の裏口へ回つた中村邦男が表入口に戻つて表戸を引つ張つた際表戸が開いたのは、内側から施錠が外されたためであると推認するほかはないから、所論指摘の同証人の前記供述をもつて原判決の前記事実認定を左右することはできない。

(二)  論旨は、要するに、原判決は、「被告人田中始は同店前に多勢の警察官がいることを聞いて駆け付け、同店前でそこにいた前記四人の警察官に営業妨害になるなどと食つて掛かり、間もなく表に引返して来た石原巡査を見つけ、『ぬすつとみたいに汚ないことするな。表から堂々と入らんかい』などと口汚くののしり始め、そこへ被告人柴田正明、同橋本渉、少し遅れて同齊本千昭が同所に駆け付け、同被告人らは被告人田中から石原巡査が土足で裏口から『レツド』に立ち入つた旨聞かされ、それに憤慨して『そんなの放つとけ、放つとけ。店をつぐす気やろ、つぶすんやつたらつぶさんかい』などと毒づいていたが、それも間もなく石原巡査らが北に向つてその場を離れたため、前記四名の被告人らは『今度会うときにはこの世におらんぞ』と捨て台詞を浴びせて南に向つたものの、石原巡査から同組の死活にかかわる強硬な立ち入り調査をされたとして憤慨の念が治まらず」と認定判示しているが、被告人柴田が、被告人田中から、石原巡査が土足で裏口から前記「レツド」に立ち入つた旨聞かされたのは、同店前ではなく、被告人柴田が被告人田中をなだめて同被告人と共に南へ向う途中であり、従つて、同店前において被告人柴田が原判示のようなことをいつて石原巡査に毒づくはずはないし、同被告人及び被告人田中が同巡査に原判示のような捨て台詞を浴びせるはずもなく、また、被告人橋本及び同齊本が同店前に駆け付け原判示のようなことをいつて石原巡査に毒づいたり捨て台詞を浴びせたりしたこともなく、さらに、被告人柴田らは、石原巡査が土足で裏口から同店に立ち入つた旨聞かされ右立入り方法が非常識であることに憤慨したにすぎず、同巡査から柴田組の死活にかかわる強硬な立入り調査をされた(右立入り調査は同組の死活にかかわる問題ではない。)として憤慨の念が治まらなかつたわけではないから、原判決にはこれらの点につき事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、前記「レツド」から南へ向う前、同店前において、被告人田中から、石原巡査が土足で裏口から同店に立ち入つたことを聞かされた旨の被告人柴田の司法警察員に対する昭和四五年九月二七日付け及び同年一〇月六日付け各供述調書中の供述、「けんかや」という声を聞いて前期「レツド」に赴いたら被告人田中及び同柴田がいて、被告人田中は石原巡査が裏口から同店に立ち入つたことにつき抗議していた旨の被告人齊本の原審第四五回公判調書中の供述部分、前記「レツド」において石原巡査が裏口から同店に立ち入つたことにつき抗議していたら被告人柴田と被告人橋本が一緒に来た旨の被告人田中の原審第四九回公判調書中の供述部分のほか、証人今川幸生の原審第二一回公判調書中の供述部分、証人中村邦男の原審第二六回公判調書中の供述部分、証人榎本久之の原審第三三回公判調書中の供述部分及び証人黒木隆の原審第二九回公判調書中の供述部分を綜合すると、原判示被告人らが前記「レツド」前において石原巡査に対し原判示のようなことなどをいつて毒づいたり捨て台詞を浴びせたりした(「そんなの放つとけ、放つとけ。店をつぶす気やろ、つぶすんやつたら、つぶさんかい」「今度会うときにはこの世におらんぞ」との言葉は被告人柴田がいつた。)ことを認めることができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、前記論旨中の被告人柴田の言動に関する今川、榎本両証人の前記各公判調書中の供述部分は右の点に関する同被告人の原審公判廷における供述と符合するのに対し、右の点に関する中村、黒木両証人の前記各公判調書中の供述部分は今川、榎本両証人の右供述部分と相反し原判示に副う趣旨のものであるところ、中村、黒木、榎本の三証人は原判示第一の事件発生直後上司から作成提出を命ぜられた右事件についての報告書を作成するに際し話合いをし、特に、中村、黒木両証人は突つ込んだ打ち合わせをし、警察当局に都合のよい報告書を作成して提出したものと認められ、中村、黒木両証人の右供述部分は右報告書の内容と同旨のものであるから信用し難い旨主張する。

そこで、検討するのに、黒木、中村両証人の前記各公判調書中の供述部分及び榎本証人の原審第三五回公判調書中の供述部分によれば、なるほど、右三名の証人は上司から原判示第一の事件につき作成提出を命ぜられた状況報告書を作成するに当たり、右事件につき話合いをしたことが認められるが、中村、黒木両証人が特に突つ込んだ打合せをしたとまでは認め難いのみならず、右三証人及び今川証人の前記各公判調書中の供述部分の供述内容を検討してみても、今川証人は、右話合いに加わつていないにも拘らず、前記公判調書中において、被告人柴田は、「つぶすならつぶさんかい」といつて被告人田中を連れて行つたが、右言葉は石原巡査に対して申し向けられたものと受け取つた旨原判決に副う供述をしているのに対し、榎本証人は、右話合いに加わつていたにも拘らず、原審第三三回公判調書中において、被告人柴田は「放つとけ、放つとけ、そいつら、店つぶす気やろ、つぶすんやつたらつぶさせとけ」といつて被告人田中を連れて行こうとしたが、それは、石原巡査に対していつたのではなく、誰彼区別なしに捨て台詞としていつた旨今川証人の右供述と異なる供述をしており、また、黒木、中村両証人の前記各公判調書中の供述部分も、原判示に副うとはいえ、黒木証人の供述部分は簡単であるのに対し中村証人の供述部分は詳細であつて、黒木証人の供述部分にあらわれていない事柄も含まれており、これらの諸事情に徴すると、中村、黒木、榎本の三証人は、前記話合いをしたとはいえ、それによつて将来事件につき供述する際の供述内容を統一したわけではなく、右三証人の右各公判調書中の供述は各自の記憶に基づきその記憶の範囲内でなされたものと認めるのが相当であるから、右話合いがなされたからといつて中村、黒木両証人の右各供述部分が信用できないとはいえない。

次に、所論は、被告人柴田が「今度会うときにはこの世におらんぞ」と捨て台詞を浴びせた点については、中村証人がその旨供述するのみで、黒木、今川、榎本の三証人はいずれもその点につき供述していないから、中村証人の右供述は故意になされた虚偽の供述か又は想像に基づく虚偽の供述と思われ信用することができず、このことは、同証人が、被告人柴田は南の方から前記「レツド」に来たにも拘らず北の方から来た旨間違つた供述をしている点からしても容易に推認できる旨主張するが、被告人柴田が右のような捨て台詞を浴びせた点につき中村証人のみがこれに符合する供述をし、他の三証人が何ら供述をしておらず、また、中村証人が被告人柴田がどの方角から前記「レツド」に来たかにつき錯覚しているからといつて、同証人の前記供述部分が必ずしも所論のような虚偽の供述であるとはいえず、他に同証人の右供述の信用性を疑わねばならない事情は見当たらない。

次に、所論は、被告人齊本の前記公判調書中の供述部分は、同被告人が原判示スタンド「京」前に赴いたのを前記「レツド」に赴いたかの如く錯覚してなした供述部分であり、このことは、同被告人が前記「レツド」前に姜成守がいた(同人は前記「レツド」前にはおらず、前記「京」前にいたことは原判決も認めている。)かの如く供述していることからしても明らかである旨主張するところ、なるほど、被告人齊本は、当審公判廷において、前記公判調書中の供述は間違いである旨供述しているが、同被告人は前記公判調書中においても、姜成守が前記「レツド」に来ていたことを否定しており、前記公判調書中の同被告人の供述部分の供述内容自体からしても、右供述部分が所論のような錯覚に基づく供述であるとは到底考えられない。

次に、被告人柴田、同田中、同橋本及び同齊本らが「石原巡査から同組の死活にかかわる強硬な立入り調査をされたとして憤慨の念が治まらず、」との原判示部分については、右被告人らは直接右判示に副う供述をしていないが、被告人柴田、同橋本及び同齊本が被告人田中から聞知した石原巡査の前記「レツド」への立入り方法はそれまでにない強硬な立入り方法であつたのであり、そのような強硬な立入り調査が続けられる場合には、柴田組の資金源となつている前記「レツド」等のうち風俗営業の許可を受けている店については許可を取り消され、飲食店営業の許可を受けている店については営業停止の処分を受ける機会が多くなり、原判示違法営業に著しく支障を生ずることは明らかであり、それは同組の死活にかかわる問題であるといわなければならず、このことのほか、被告人柴田が前記「レツド」前から原判示福原派出所に押しかけた際上村巡査に対し「箱長、この石原がうちの店ばかり来てつぶす気や」といつて抗議している点(証人中村邦男の前記公判調書中の供述部分により認められる。)を併せ考えると、右被告人らが石原巡査から同組の死活にかかわる強硬な立入り調査をされたとして憤慨の念が治まらなかつたことは容易に推認し得るところである。

(三)  論旨は、要するに、原判決は、「前記四名の被告人ら(被告人柴田、同田中、同橋本及び同齊本を指称する。)は、……スタンド「京」前路上で同派出所へ帰る石原巡査らを見つけ、事情を知つて駆け付けた被告人前田満久、同脇山三喜夫、前記姜成守も加わつて、石原巡査らを取り囲み、こもごも、『表から入つてこんかい』『一人でようけえへんのか』『いてもたる』などと怒号し、ことに被告人脇山におてい『うちの若衆を集めてお前らと勝負したろか』などと怒号し、被告人田中において同巡査を小突くなどしているうちにますます被告人らの興奮は高まつて行つたが、騒ぎを聞いた同派出所の池田、上村両巡査が出て来て被告人らをなだめた結果、一応石原巡査らは同派出所へ引き上げることができたものの、被告人柴田らはなおも石原巡査らのあとに続いて同派出所前に押しかけ、被告人柴田において同公廨に押し入り、同所の長であると思つていた上村巡査に対し、石原巡査の措置を強く非難し、警察官から押し出されるようにして公廨から出た後も、被告人脇山、同田中、同齊本、同前田、同橋本らと一緒に同派出所前で、口々に裏から入つたことをなじり、『今度来たらいわしてしまうぞ』などと怒鳴つておいて午後九時半過ぎ、同被告人らは同所を引き上げて西に向つたが、」と認定判示しているが、原判示スタンド「京」前に柴田組々員が集つた際には前田満久は同所に来ておらず、その際、他の同組々員らのうち石原巡査らに対しある程度の暴言を吐いた者もいるが、こもごも原判示のような怒号をしたことはなく、殊に、被告人脇山が「うちの若衆を集めてお前らと勝負したろか」といつたとは考えられず、その際、被告人田中が石原巡査を小突いたこともなく、また、原判決が「石原巡査らを取り囲み」「石原巡査らは同派出所へ引き上げることができたものの」とまるで石原巡査が被告人らに監禁されたかのような判示をしている部分も事実に反し、さらに、被告人齊本は前記派出所前には行つていないし、被告人柴田が前記派出所内から押し出された後も同被告人らが口々に裏から入つたことをなじつたり「今度来たらいわしてしまうぞ」などと怒鳴つた事実もなく、以上の諸点につき原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで、検討するのに、被告人柴田の司法警察員に対する昭和四五年九月二七日付け供述調書、証人池田政信の原審第六回公判調書中の供述部分及び被告人脇山の当審公判廷における供述によれば、前記「京」前において柴田組々員が後記認定の如く怒号したりした際、前田満久も同所に駆け付けていたものと認めるのが相当であり、右認定に反する証拠は信用し難い。次に、被告人柴田、同田中、同橋本、同齊本、同脇山、前田満久及び姜成守が前記「京」前においてこもごも石原巡査に対し原判示のような怒号をしたことは、原判決挙示の証拠中、証人池田政信、同今川幸生、同中村邦男、同黒木隆及び同榎本久之の原審各公判調書中の供述部分等関係証拠によつてこれを肯認することができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、被告人柴田、同脇山及び姜成守は他の被告人らの暴言を制止しているほどであるから、原判示のように激しい怒号がなされているはずはなく、殊に、被告人脇山が「うちの若衆を集めてお前らと勝負したろうか」などと怒号するはずはない旨主張するが、被告人柴田、同田中、同橋本及び同齊本は原判示のような事情から石原巡査に対する憤慨の念が治まらず、一旦別れた同巡査に再び抗議しようと思い前記派出所へ向う途中同巡査を前記「京」前で見つけたのであり、同所に駆け付けた被告人脇山、姜成守らもその事情を知つていたものと認められることは原判示のとおりであるから、被告人柴田、同脇山及び姜成守が他の被告人らの暴言を制止したりするのはむしろ不自然であり、前記各証人の原審各公判調書中の供述部分からも右制止をした形跡は全くうかがわれないから、右制止をした旨の被告人脇山の原審公判調書中の供述部分等の各証拠は信用し難い。

次に、被告人田中が石原巡査を小突いた旨の原判示認定事実は、これに副う同被告人の当審公判廷における供述、被告人柴田の検察官に対する昭和四五年一〇月一五日付け供述調書中の供述及び証人池田政信の原審第六回公判調書中の供述によりこれを認めることができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

次に、原判決挙示の証拠中、証人池田政信、同上村隆弘、同今川幸生、同中村邦男及び同榎本久之の原審各公判調書中の供述部分等関係証拠によれば、「石原巡査らを取り囲み」「石原巡査らは同派出所へ引き上げることができたものの」との原判示認定部分も不当な認定とは考えられず、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、右認定が不当であることの論拠として、前記「京」前には石原巡査のほかに四名の巡査がいたから、それらの巡査が大体同人数の前記被告人らに取り囲まれるはずはなく、現に、右四名の巡査のうちの一人である榎本巡査も、原審第三三回公判調書中において、前記被告人らと石原巡査との間に右榎本巡査らが割つて入り、同巡査らが石原巡査を囲んでいた旨供述している旨主張するが、前記証拠によれば、石原巡査らよりも人数の多い前記被告人らは右巡査らの先頭にいた石原巡査を半円形に取り囲む形で集まり、原判示のように怒号し始めたのであり、その後石原巡査以外の巡査らが石原巡査を囲んだ後も前記被告人らは石原巡査を中心に右巡査らを半円形に取り囲むようにしていたのであり、このような状態のところへ前記派出所から池田、上村両巡査が駆け付けて前記被告人らをなだめた結果、前記被告人らもやや平静に復したので、石原巡査ら五名の巡査は前記派出所に引き上げたことが認められ、右認定事実からすれば、原判決の前記認定が事実の誤認であるとはいえない。

次に、被告人齊本が前記「京」前から前記派出所前に行つたかどうかについては、同被告人は、原審、当審各公判廷において、前記「京」前には行つたが、警察官が引き上げた後被告人柴田が「みんなもう帰れ」というので、前記派出所へは行かず、他の者と一緒ぐらいに同所から西の方へ引き上げた旨供述しているが、この点に関する被告人齊本の供述があいまいであることのほか、被告人橋本が検察官に対する昭和四五年一〇月一二日付け供述調書中において、前記「京」前には同被告人以外に被告人柴田、同脇山、同田中、姜成守らが来ており(被告人齊本が来ていたかどうかは覚えていない。)警察官が前記派出所へ引き上げた際、右被告人らも前記派出所に赴き、被告人柴田だけが中に入つて文句をいつたが、警察官に押し出されたので、皆が引き上げた旨供述している点、証人池田政信が、原審第六回公判調書中において、前記「京」前には被告人柴田、同脇山、同橋本、同田中、同前田、同齊本ら柴田組々員が来ており、警察官が前記派出所へ引き上げた際、柴田組々員らも警察官について前記派出所前に来て被告人柴田だけが中に入り他の者は入口にいた旨供述している点に徴すると、警察官が引き上げた後被告人柴田から「みんなもう帰れ」といわれたので前記派出所へ行かなかつた旨の被告人齊本の右供述は措信し難く、同被告人も他の被告人らと一緒に警察官について前記派出所前に赴いたものと認めるのが相当であり、被告人柴田が前記派出所から押し出された後も原判示被告人らが口々に裏から立ち入つたことをなじり「今度来たらいわしてしまうぞ」などと怒鳴つた旨の原判示認定事実は、これに副う証人上村隆弘の原審第一一回公判調書中の供述部分及び前田満久の検察官に対する昭和四五年一〇月一二日付け供述調書中の供述によりこれを認めることができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、被告人橋本及び前田の右各供述調書中の供述は捜査官の暴行、脅迫に基づく虚偽の供述であつて信用し難い旨主張するが、右各供述が捜査官の暴行、脅迫に基づく不任意の供述でないことは原裁判所が右各供述調書の採用決定中に示すとおりである。

(四)  論旨は、要するに、原判決は、前記の(三)の判示に続き、「途中被告人橋本を叱責してしけ張りに着かせた被告人柴田はどうしても気が治まらず、被告人脇山、同田中、同齊本と共に同町所在福原サウナセンター前路上に至つたとき、右被告人三名に対し石原巡査に暴行を加えることを指示し、たまたま他の二名と共に同所へ通りかかつた前記平原司に対し『保安がようけ出とるんや、早うおれの家へ行つて井上を呼んで来い』と怒鳴りつけ、それに応えて行きかけた同人の態度が緩慢なことに激昂して『早う行けというのがわからんのか』といいざま同人の頬を殴りつけ、前記『萩』の様子をみるためその場を去つたが、」と認定判示しているが、被告人柴田は、原判示福原サウナセンター前路上において、被告人脇山及び同田中に対し(被告人齊本はいなかつた。)「(石原巡査が)今度土足で店(前記「レツド」)へ上がつて来たらしばいてしまえ」といつたのであり、右の言葉からすれば、被告人柴田は右の段階においては、極めてがい然性の薄い将来の出来事の発生(石原巡査が再び土足で前記「レツド」に立ち入ること)を条件として石原巡査に暴行を加える意思を有していたにすぎず、同巡査に対し無条件で直ちに暴行を加える意思はなかつたものと認めざるを得ないから、同被告人は、原判決認定の如く、石原巡査に対し無条件で暴行を加えることを被告人脇山、同田中、及び同齊本に指示したものとはいえず、また、被告人柴田は、平原司に対し被告人井上を呼んで来るように指示したこともなく、これらの点につき、原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで、まず、被告人柴田が、後記認定の如く、前記福原サウナセンター前路上において石原巡査に対し暴行を加えることを指示した際、その場に被告人脇山、同田中のほかに被告人齊本がいたかどうかについて検討するのに、なるほど、被告人齊本は、原審、当審各公判廷において、前記「京」前には行つたが、警察官が引き上げた後は原判示トルコ「源吉」前に行つて被告人橋本と一緒にいたので、前記福原サウナセンター前には行つていない旨供述しており、被告人橋本も、原審、当審各公判廷において、前記「京」前から警察官について前記派出所に赴いた後、被告人柴田、同脇山、同田中及び同齊本らと共に引き上げる途中被告人橋本と被告人齊本は前記「源吉」前に残り、他の被告人らは桜筋にある前記福原サウナセンター方へ行つた旨被告人斎本の右供述に副う供述をしているが、被告人橋本が前記検察官に対する供述調書中において、前記「京」前から警察官について前記派出所に赴いた後、被告人柴田、同脇山及び同田中ら(被告人齊本がいたかどうかは覚えていない。)と共に引き上げる途中被告人橋本のみが前記「源吉」前に残り、他の被告人らは桜筋の方へ行き、被告人橋本が前記「源吉」前で原判示のようないわゆるしけ張り(以下単にしけ張りという。)をしていたら被告人齊本が桜筋の方から歩いて来た旨供述している点、前田満久が前記検察官に対する供述調書中において、被告人井上が原審第三九、四一回各公判調書中において、いずれも、被告人井上が前記福原サウナセンター前に呼び寄せられて来た頃同所に被告人齊本がいた旨供述している点に照らすと、被告人齊本と被告人橋本が前記「源吉」前に残つていた旨の右被告人らの前記各供述は信用し難く、被告人橋本及び前田の右各供述調書中の供述及び被告人井上の右公判調書中の供述を綜合すると、被告人齊本は被告人柴田、同脇山、同田中及び同橋本と共に前記派出所から引き上げる途中前記「源吉」前には残らず、被告人柴田、同脇山及び同田中と共に前記福原サウナセンター前に赴き、被告人柴田が後記認定の如く同所において石原巡査に対し暴行を加えることを指示した際、被告人脇山及び同田中と共にその場に居合わせて被告人柴田の指示を受けたものと認めるのが相当であり、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、被告人井上の右公判調書中の供述は同被告人が誤つて供述したものであり、前田の右供述調書中の供述は、取調べに当たつた捜査官の誘導又は強制に基因する虚偽の供述であつて証拠価値がなく、このことは、被告人井上及び前田が被告人齊本の動静につき何ら供述していないこと、前田は、右供述調書中において、前記福原サウナセンター前には被告人脇山、同田中、同橋本、同斎本及び同井上がいた旨供述しているが、被告人橋本及び同齊本が同所にいなかつたことは他の証拠により明らかであり、被告人橋本が同所にいなかつたことは原判決も認めていること、右供述調書の記載内容がまとまりすぎていること(例えば、「皆で相談し、田中が私と井上とに『石原をやれ』と命じ、それを井上が私に伝えに来たと思う」とある部分)等に徴して明らかである旨主張するが、被告人井上は、原審第三九回公判調書中において、桜筋の福原サウナセンター前に行つたとき被告人齊本は自転車にまたがつていた旨同人の動静についても供述すると共に、同被告人のいた位置をも図示しているほどであつて、被告人齊本についての被告人井上の右供述が誤つて供述されたものと疑わねばならない事情は全く見当たらないから、同被告人の右供述は高度の信用性を具備しているものといわなければならず、前田の右供述調書中の供述についても、右供述が取調べに当たつた警察官の暴行等に基づく不任意の供述でないことは、原裁判所が右供述調書の採用決定中に示すとおりであることのほか、同人が、原審公判廷(第五三回)において、被告人橋本が前記福原サウナセンター前にいたことを肯定する趣旨の供述をしている点からすれば、同人の右供述調書中の同旨の供述は錯覚による供述であるとはいえ捜査官の誘導又は強制に基づくものとは考えられないこと、被告人齊本が同所にいた点については、反対の証拠も存するが、右事実の存在を肯定する被告人井上の右供述には高度の信用性があることからすれば、同被告人の右供述と同趣旨の前田の右供述にも信用性を認めざるを得ないこと、前田は、被告人柴田が前記福原サウナセンター前にいたかどうかにつき、右供述調書中において、検察官から「脇山等が集まつて話していた所に柴田組長はいなかつたか」と質問されたのに対し「私には柴田組長の姿は見えませんでした」と答え、否認すべき事項については否認していること、所論が右供述調書の記載内容がまとまりすぎている例として挙げている部分も、右供述調書にはかなり詳細に記載されていて不自然と思われるほどにまとまりすぎているとはいえず、他に右供述調書の記載内容に所論のような不自然な記載は見当たらない点等を併せ考えると、前記福原サウナセンター前に被告人齊本がいた旨の前田の右供述調書中の供述は所論のような捜査官の誘導又は強制に基づく虚偽の供述ではないものと認めるのが相当であり、同人が右供述調書中において、被告人齊本の動静について何ら供述していない事実は右認定を左右するものではない。

次に、所論は、被告人橋本の右供述調書中の供述のうち前記「源吉」前でしけ張り中被告人齊本が来た旨の供述部分は、取調べに当たつた捜査官の誘導又は強制に基因する虚偽の供述であつて証拠価値がない旨主張するが、被告人橋本の右供述部分が任意性、信用性を具備していることは、原裁判所の右供述調書の採用決定中に示す理由のほか、被告人齊本が前記派出所から引き上げる途中何ら用事もないのに被告人橋本と共に前記「源吉」前に残つた旨の被告人橋本の原審公判廷における供述は当時の状況からして不自然と思われること等の諸事情によりこれを認めることができる。

次に、前記原判示事実中、被告人柴田が平原司に被告人井上を呼びに行かせた点に関する事実は、平原の検察官に対する昭和四五年一〇月二二日付け供述調書中の供述によりこれを認めることができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、平原の右供述調書は刑訴法三二一条一項二号に該当する書面として証拠調べがなされたのであるから、右供述調書中の同人の供述中被告人柴田の供述を内容とする部分は、伝聞供述であつて証拠とすることができない旨主張するので、検討するのに、なるほど、右供述調書は同法三二一条一項二号後段に該当する書面として採用されて取り調べられた証拠であることは記録上明らかであるから、平原の右供述調書中の供述のうち被告人柴田の供述を内容とする部分が伝聞供述に当たるかどうかが問題となるが、伝聞供述となるかどうかは要証事実と当該供述者の知覚との関係により決せられ、甲が一定内容の発言をしたこと自体を要証事実とする場合にはその発言を直接知覚した乙の供述は伝聞供述に当たらないものと解すべきであるところ、平原の右供述調書中の供述中被告人柴田の供述を内容とする部分は、同被告人が原判示のような供述をしたこと自体を要証事実としているものと解せられ、同被告人が原判示のような供述をしたことは平原の自ら直接知覚したところであつて伝聞供述であるとはいえない。

次に、所論は、平原の右供述調書中の供述のうち被告人柴田の言動に関する部分は、取調べに当たつた捜査官の誘導又は強制に基づく供述であつて証拠価値がない旨主張するが、所論指摘の平原の右供述部分は、その供述内容自体極めて具体的かつ詳細であつて真実味を帯びており、所論の理由により作出された虚偽の供述であるとは考えられないこと、及び平原は、原審において証人として尋問された際、右供述調書中の供述が所論のような誘導又は強制に基づく供述である旨の供述はしておらず、右供述調書中で供述している事実については現在記憶していない旨の供述をしているにすぎないこと等に徴すると、平原の右供述調書中の供述部分が所論のような捜査官の誘導又は強制に基づく虚偽の供述であるとは認められない。

次に、所論は、仮に、平原の右供述調書中の供述が伝聞供述でなくまた虚偽の供述でもなく、右供述により被告人柴田が平原に被告人井上を呼びに行かせた事実が認められるとしても、被告人柴田が被告人井上を呼びに行かせた目的は明らかではない(被告人柴田が平原に対し申し向けた「保安がようけ出とるんや」との言葉からすれば、同被告人は被告人井上にしけ張りをさせるために同被告人を平原に呼びに行かせたものと推測される。)から、被告人井上を呼びに行かせた被告人柴田の行為と被告人井上の原判示第一の犯行とは直接関係はなく、従つて、平原の右供述調書中の供述を原判示第一の事実の証拠とすることはできない旨主張するが、被告人柴田が被告人井上を呼びに行かせた目的は後記認定のとおりであるから、被告人柴田の右行為は原判示第一の事実と密接な関連を有するものといわなければならず、従つて、平原の右供述調書中の供述を原判示第一の事実の証拠に供することは当然許されるものといわなければならない。

そこで、次に、被告人柴田が被告人脇山らに対し石原巡査に暴行を加えることを指示したかどうかについて検討するのに、この点につき、被告人柴田は、検察官に対する昭和四五年一〇月一五日付け供述調書中においては、「(石原巡査が)今度土足で上がつて来たらしばいてしもたれ」といつた旨供述し、原審公判廷においても同旨の供述をしており、被告人脇山は、原審公判廷において、弁護人の質問に対し、被告人柴田から「(石原巡査が)今度店に土足で上がるようなときはぶちまわしてしまえ」との趣旨のことをいわれた旨供述し、当審公判廷においては、被告人柴田から「(石原巡査が)土足で上がつたら今度は殴れ」といわれた旨供述しているが、被告人柴田が被告人脇山らに対し右のような指示をしたのが真実だとすれば、その直後被告人柴田が平原に被告人井上を呼びに行かせた前記認定事実を合理的に説明することができない。すなわち、所論は、被告人柴田が被告人井上を呼びに行かせたのは同被告人にしけ張りをさせるためであつたものと推測される旨主張するが、関係証拠によれば、その当時既に被告人橋本、同前田がしけ張りをしており、しかも、その場には被告人脇山、同田中、同齊本及び平原がいたのであり、同被告人らにしけ張りをさせることも可能であつたはずであるから、わざわざ被告人柴田方で電話当番の仕事をしていた被告人井上を呼び寄せてしけ張りをさせる必要があつたとは考えられないのみならず、被告人柴田がそのような目的で被告人井上を呼び寄せるつもりであつたとすれば、同被告人の意図が他の被告人らに伝わるはずであるのに伝わつていないのは不自然であり、これらの諸事情に徴すると、被告人柴田が平原に対し申し向けた「保安がようけ出とるんや」との言葉を考慮しても被告人柴田が被告人井上をしけ張りをさせるために呼び寄せたとは到底考えられず、次に、石原巡査が再び前記「レツド」に赴き裏口から土足で同店に上がつて来た場合に被告人井上に暴行を加えさせる目的で被告人柴田が被告人井上を呼び寄せたものとして仮定してみても、右のような事態が再びその日に起こり得る可能性は低く、ましてそのような事態が直ちに起こり得る可能性は殆ど認められないのに、被告人柴田が平原を殴りつけてまで急いで被告人井上を呼んで来させようとしたこと(平原の右供述調書中の供述により認められる。)は不自然といわなければならず、現に呼び寄せられた被告人井上に対しそのような指示が与えられていない点からすれば、被告人柴田が右のような目的で被告人井上を呼び寄せたと考えることもできず、これらの諸事情のほか、被告人柴田が原判示のようないきさつにより石原巡査に対し相当憤慨の念を強めていたものと認められること、被告人脇山が原審公判廷(第六二回)において、検察官から「福原サウナの処で組長は何か言つてなかつたですか。」と質問されたのに対し、「そりやそうやと、ぶちまわしてしまえいうことを言うてました。」と答え、「ぶちまわしてしまえ」との言葉の意味については「殴つてしまえといえことです。」と供述している点を併せ考えると、被告人柴田が被告人脇山らに対し条件付き暴行を加えることを指示した旨の被告人柴田及び同脇山の前記各供述は信用し難く、被告人柴田は、被告人脇山が原審公判廷(第六二回)において、検察官の質問に対し答えているように無条件で石原巡査に暴行を加えることを指示したものと認めるのが相当である。

所論は、若し、被告人柴田が石原巡査に暴行を加える意図があつたとすれば、同被告人は前記「レツド」等の店を閉店して石原巡査に暴行を加える態勢をとるはずであるのに、前記「レツド」や原判示スタンド「萩」の店を開店したまま自らこれらの店を見回つていたのは不自然であり、同被告人が石原巡査に暴行を加える意思を有しなかつたことは、同被告人が模擬刀を持つて前記派出所に駆け付けた前田からその刀を取り上げたことからしても明らかである旨主張するが、前記認定事実に徴すると、同被告人は柴田組の組員全員で石原巡査に暴行を加える意図を有していたのではなく、被告人井上に命じて同巡査に暴行を加えさせる意図であつたものと認められるから、被告人柴田が前記「レツド」等を開店したままこれらの店を見回つていたからといつて不自然とはいえず、また、前田が模擬刀を持つて前記派出所に駆け付けたのは、被告人井上が石原巡査を刺した後であることは原判決認定のとおりであるから、被告人柴田が前田の右行為を制止した事実があるからといつて、被告人柴田の石原巡査に対する暴行の意思を否定しなければならないいわれはない。

(五)  論旨は、要するに、原判決は、前記(四)の判示に続き、「被告人脇山はこの様子から被告人柴田の意図を察し、呼ばれてすぐに同所に来た被告人井上彰に警察官に傷害を与えることがあることを認容しながら前記派出所への投石を命じ、同所で被告人脇山から少し離れてこれを聞いていた被告人田中もあらためて被告人井上から被告人脇山の右命令を聞いた後、被告人井上に対し警察官に傷害を与えることがあることを認容しながら、むしろ見回りに来た警察の車に被告人前田と一緒に投石することを命じた。」と認定判示しているが、被告人柴田の右意図の内容は明らかではないから、被告人脇山が被告人柴田の意図を察したとはいえず、また、被告人脇山が被告人井上に対し前記派出所への投石を命じたからといつて被告人脇山が警察官に傷害を与えることを認容していたとはいえず、同被告人は単なる器物毀棄の意見をもつて被告人井上に対し右投石を命じたのであり、被告人田中も、被告人井上に対し警察の車に投石することを命じたからといつて被告人田中が警察官に傷害を与えることを認容していたとはいえず、同被告人も単なる器物毀棄の意思をもつて被告人井上に対し右投石を命じたのであるから、これらの点につき原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで、検討するのに、被告人柴田が、被告人脇山らに対し石原巡査に暴行を加えることを指示したこと、その直後被告人柴田は被告人井上をして石原巡査に暴行を加えさせる意図をもつて、通りかかつた平原司に対し被告人井上を呼んで来るように命じ、同被告人を呼びに行きかけた平原の態度が緩慢なことに激昂して同人の頬を殴つたことは前記認定のとおりであり、被告人柴田から右のような指示を受けた被告人脇山が被告人柴田の平原に対する右所為をみて被告人柴田が被告人井上を呼びに行かせた意図を察したことは十分首肯し得るところであり、次に、被告人脇山は、検察官に対する昭和四五年一〇月一五日付け供述調書中及び原審、当審各公判廷において、被告人井上に対し前記派出所への投石を命じた旨供述し、被告人田中も、原審、当審各公判廷において、被告人脇山が被告人井上に右のような投石を命じたのを聞知した旨供述すると共に、自らも同被告人に警察の車に対する投石を命じた旨供述し、いずれも警察官に対し石を当てる意思があつたことを否定しているが、前記認定の如く、被告人脇山及び同田中は、被告人柴田から石原巡査に対し暴行を加えることを指示されたうえ、被告人脇山は、被告人柴田が平原に被告人井上を呼びに行かせたのを見て、被告人柴田が被告人井上を呼び寄せて石原巡査に暴行を加えさせる意図を有するものと察知していたこと、そのような被告人脇山及び同田中が被告人柴田の意図に反して単なる器物毀棄の意思で前記のような投石を命ずるのはあまりにも不自然といわなければならないこと、仮に、被告人脇山及び田中が右投石により警察官に傷害を与えることがあり得ることを認容していたとしても、右投石により警察官に傷害を与える可能性は必ずしも高いとはいえず、しかも、石原巡査に対して傷害を与える可能性はより低いものといわなければならず、そのようなてぬるい態様の暴行を加えることを被告人井上に命ずることも被告人柴田の意図に合致するとは思えないこと、被告人井上が右のような投石を命ぜられたとすれば、同被告人がその命令に従わず、その後直ちに前田のところに赴き、「(石原巡査を)刺してしもたろと思うとるんや」と申し向け、さらに前記「レツド」に赴いて被告人橋本から原判示くり小刀を受け取つて右小刀で石原巡査を刺殺した後記認定事実は不自然であつて納得し難いこと等の諸事情に徴すると、被告人井上に対し単なる器物毀棄の意思で原判示投石を命じた旨の被告人脇山及び同田中の前記各供述は到底信用し難く、右被告人両名は、被告人柴田の意図に従い、石原巡査に暴行を加える意思をもつて、被告人井上に対し原判示命令以外の内容の命令により石原巡査に暴行を加えることを命じたものと推認するのが相当である(暴行の方法については、刃物による暴行を含む数種の方法による暴行を選択的に命じたかあるいは暴行の方法を特定しないで暴行を命じたことが考えられる。)。

所論は、被告人田中は被告人井上が石原巡査を刺した際、その現場には行つておらず、このことは被告人田中が被告人井上に同巡査に対する暴行を命じたりしていないことの証左である旨主張するが、被告人井上が石原巡査を刺殺した際、その場に被告人田中が来ていたことは後記(七)において認定するとおりである。

(六)  論旨は、要するに、原判決は、前記(五)の判示に続き、(1)「そこで、被告人井上は直ちに同所近くのニユートルコ湯の島前路上でしけ張りをしていた被告人前田のところへ行き、『皆が頭へ来とる。皆がいてもたるというとる。うちの兄貴(被告人田中のこと)がお前らで石原をいわせいうとる。刺してしもたろと思うとるんや』といつて石原巡査を刃物で襲撃する決意を話し、被告人前田も『ビールびんで殴るか切つてやる』とそれに応じ、また、同町トルコ『源吉』前でしけ張り中の被告人橋本はその場に来た被告人齋本から石原巡査に傷害を加えることになつたいきさつを聞いて自らもその決意をし、ここに、被告人柴田、同脇山、同田中、同齋本、同井上、同前田、同橋本の間に順次、石原巡査に暴行ないし傷害を加える旨の共謀が成立し、」(2)「被告人脇山は近くの飲み屋『鳥源』に入つたが、被告人井上は『レツド』に行き、間もなく同店に来た被告人橋本から同被告人が山口修から借り出したくり小刀(昭和四六年押第二〇号の1)を受取りハンチングに包んで隠し持ち、被告人前田は近くでびん詰ビールを準備し、」と認定判示しているが、右(1)の事実中、被告人井上が原判示場所でしけ張り中の前田のところへ行つた事実を除くその余の事実及び右(2)の事実中、前記「レツド」に行つた被告人井上が間もなく同店に来た被告人橋本から同被告人が山口修から借り出したくり小刀を受け取り、前田は近くでびん詰めビールを準備した旨の事実は証拠上認め難いから、これらの点につき原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで、検討するのに、前田のところへ行つた被告人井上が前田に対し原判示のことをいつた事実は前田の前記検察官に対する供述調書中の供述によりこれを認めることができ、右事実のほか、被告人井上が前田に対し原判示のことをいつた直前被告人脇山及び同田中から石原巡査に暴行を加えることを命ぜられた旨の前記認定事実及び被告人井上が前田に対し原判示のことをいつた後前記「レツド」から原判示くり小刀を持ち出して同巡査を刺した後記認定事実を併せ考えると、被告人井上は前田に対し原判示のことをいつた当時同巡査を刃物で襲撃する決意を有し、その決意を原判示言葉によつて前田に話したものと認めることができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、前田の右供述調書中の供述のうち右(1)の原判示認定事実に副う部分は、取調べに当たつた捜査官の誘導又は強制に基因する虚偽の供述であつて信用し難い旨主張するが、前田の検察官に対する供述調書中の供述の証拠価値につき前記(四)において説示した理由のほか、被告人井上が前田のところへ行つて原判示のことをいつたのは、同被告人がその直前被告人脇山や被告人田中から石原巡査に対し暴行を加えるよう命ぜられた旨の前記認定事実からして不自然とはいえないこと等に徴すると、所論指摘の前田の右供述調書中の供述部分が捜査官の誘導又は強制に基因する虚偽の供述であるとは認められない。

次に、所論は、前田の検察官に対する右供述調書は、刑訴法三二一条一項二号に該当する書証として取り調べられたものであるから、右供述調書中の被告人井上の供述部分は伝聞供述であつて証拠能力がない旨主張するので検討するのに、なるほど、右供述調書は同法三二一条一項二号前段に該当する書面として採用されて取り調べられた証拠であることは記録上明らかであるから、右供述調書中の前田の供述中被告人井上の供述を内容とする部分が伝聞供述に当たるかどうかが問題となるが、伝聞供述となるかどうかの判断基準は前記(四)において説示した如く解すべきであるところ、前田の右供述調書中の供述中被告人井上の供述を内容とする部分は、被告人井上が原判示供述をしたこと自体を要証事実としているものと解せられ、同被告人が原判示供述をしたことは前田の自ら直接知覚したところであつて伝聞供述とはいえない。

次に、右原判示事実中「被告人前田も『ビールびんで殴るか切つてやる』とそれに応じ、」との部分及び前田が近くでびん詰めビールを準備したとの部分は、これに副う同人の前記検察官に対する供述調書中の供述によりこれを認めることができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、前田の右供述は取調べに当たつた捜査官の誘導又は強制に基因する虚偽の供述であつて信用し難い旨主張するが、同人の検察官に対する供述調書中の供述の証拠価値につき前記(四)において説示した理由のほか、同人が被告人井上から原判示のことを申し向けられた場合それに応じて自己も石原巡査に対し暴行を加えることを決意し、同被告人に対し「ビールびんで殴るか切つてやる」と申し向けることは何ら不自然とは考えられないこと、及び同被告人が前田のところへ来た直後同人がびん詰めビール一本を買つて来ている事実(この事実は同人も当審公判廷において認めている。)等に徴すると、前田の右供述が所論のような捜査官の誘導又は強制に基因する虚偽の供述であるとは認め難い。

次に、右原判示事実中、「トルコ『源吉』前でしけ張り中の被告人橋本はその場に来た被告人齊本から石原巡査に傷害(暴行の誤記と解される。)を加えることになつたいきさつを聞いて自らもその決意をし、」との部分は、前記認定の如く、被告人齊本が、前記福原サウナセンター前において、被告人脇山及び同田中と共に被告人柴田から石原巡査に暴行を加えることを指示された事実、右事実及び被告人橋本の前記検察官に対する供述調書によれば、被告人齊本は被告人柴田から右のような指示を受けた直後前記「源吉」前でしけ張り中の被告人橋本のところに赴いて同被告人と会つたものと認められること、及び後記認定の如く、被告人橋本は被告人齊本と会つた後、前記「レツド」に赴き、山口修に前記くり小刀を取り出させて自らこれを受け取つた後その場にいた被告人井上に渡している事実を綜合してこれを推認することができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、被告人橋本の右供述調書中の供述のうち被告人齊本の言動に関する部分は、取調べに当たつた捜査官の誘導又は強制に基因する虚偽の供述であつて証拠価値がない旨主張するが、被告人橋本の右供述部分が任意性、信用性を具備していることは前記(四)において説示したとおりである。

次に、所論は、同被告人の前記検察官に対する供述調書は、刑訴法三二一条一項二号に該当する書面として取調べられたものであるから、右供述調書中の同被告人の供述のうち被告人齊本の供述を内容とする部分、すなわち同被告人が「これからどがいなるんじやろの」等といつた部分は伝聞証拠であつて証拠能力がない旨主張するので検討するのに、右供述調書は同法三二一条一項二号前段に該当する書面として採用されて取り調べられた証拠であることは記録上明らかであるから所論指摘の右供述部分が伝聞供述に該当するかどうかが問題となるが、原判決は右供述部分を証拠として右原判示部分を認定したものとは解されない。

次に、右原判示事実中、「ここに、被告人柴田、同脇山、同田中、同齊本、同井上、同前田、同橋本の間に順次、石原巡査に暴行ないし傷害を加える旨の共謀が成立し、」との部分は、如上認定の諸事情によりこれを肯認することができる。

所論は、右認定のような共謀が成立したとするならば、事の重大性からみて、右各被告人は緊張し直ちに右共謀の内容を実行する用意を整えるはずであるのに、その後右被告人らはしけ張りをしたりしており、殊に、被告人脇山は酒を飲みに行つており、前田はビールびんを買つたものの、そのビールびんを振り上げて前記派出所前に駆け付けてもすぐに叩き落されるに決まつているのに、右ビールびんを振り上げて前記派出所前に駆け付け、それを制止されるや、今度は上半身裸体になつて模擬刀を振りかざして同所に駆け付けるなど児戯に類する行動をしており、これらの諸事情のほか、被告人脇山が前田から右ビールびんを取り上げ、被告人柴田が前田から右模擬刀を取り上げていること、最後に被告人らが前記派出所前に集まつたのも最初から計画的に集まつたのではないこと、被告人井上が石原巡査を刺す直前の前記派出所前における状況は、後に主張する如く、他の被告人らが被告人井上の右犯行を予期し得るほどの緊張状態ではなかつたこと等の諸事情を併せ考えると、右被告人らには石原巡査に対し暴行を加える意思はなかつたものといわなければならず、右認定のような共謀は成立していないことが明らかである旨主張するが、被告人井上が右認定の共謀成立後前記「レツド」に赴いたことは関係証拠上明らかであり、後記認定によれば、右認定の共謀成立後被告人橋本も前記「レツド」に赴き、山口修から前記くり小刀を借り出してこれを被告人井上に渡し、前田も右認定の共謀成立後ビールびんを準備したことは前記認定のとおりであつて、右認定の共謀の内容を実行する用意が全くなされなかつたわけではなく、他方、前田がビールびんを振り上げて前記派出所の方へ駆け付けて来るのを被告人脇山が制止した(証人池田政信の原審第六回公判調書中の供述部分により認められる。)のは、前記派出所前の当時の状況からして前田がビールびんを振り上げて石原巡査に接近して殴つたりすることは不可能な状態であつたためと推認されるし、前田が模擬刀を振りかざして前記派出所前へ駆け付けて来るのを被告人柴田が制止したのは、既に被告人井上が石原巡査を刺した後のことであることは前記説示のとおりであり、また、前田の所論指摘の行為も同人が同巡査に対し暴行を加える意思を有したことを否定しなければならないほど不自然な行為であるとはいえず、さらに、右認定の共謀の内容によれば石原巡査に対する暴行は被告人らのうちの一部の者によつて実行されることになつていたことからすれば、右共謀成立後、被告人脇山が原判示飲み屋「鳥源」に入つたり被告人らの一部の者がしけ張りをしていたこと、最後に被告人らが前記派出所前に集まつたのが計画的であつたとまでは証拠上認め難いこと、及び被告人井上が石原巡査を刺す直前の前記派出所前の状況が他の被告人らにおいて被告人井上の犯行を予知し得るほどの極端な緊張状態であつたとまでは認め難いこと等を考慮しても、右被告人らに石原巡査に対し暴行を加える意思があり、右被告人らの間に前記認定の共謀が成立したことを否定することはできない。

次に、右原判示事実中、「被告人井上は……間もなく同店に来た被告人橋本から同被告人が山口修から借り出したくり小刀を受け取り、」との部分は、前田と別れてから原判示の如く前記「レツド」に赴いた際には被告人橋本は同店に来ていなかつた旨の被告人井上の原審第三九、四一回各公判調書中の供述部分のほか、山口修の検察官に対する昭和四五年一〇月二二日付け供述調書及び裁判官の同人に対する勾留質問調書によりこれを認めることができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、山口の右供述調書中の右認定に副う供述部分は、取調べに当たつた捜査官の誘導又は強制に基因する虚偽の供述であつて証拠価値がない旨主張するが、同人の右供述が任意性、信用性を具備していることは、原裁判所が右供述調書の採用決定中で示す理由のほか、原判示第三の事実に関する控訴趣意に対する後記判断中で示す理由(但し、同人の司法警察員に対する供述調書に関する部分を除く。)によりこれを肯認することができる。

次に、所論は、被告人橋本が前記「レツド」において前記くり小刀を山口から受け取つた事実が認められるとしても、それは、機械的、即座的な取次ぎ行為にすぎず、原判示のような行為ではない旨主張するが、山口の右供述調書中の供述によれば、被告人橋本は、前記「レツド」において山口に対し「小刀を貸してくれ」といつて前記くり小刀を同人から受け取つた後同店にいた被告人井上に渡した事実が認められるのであつて、被告人橋本の右行為が所論のような単なる機械的、即座的取次ぎ行為(山口から被告人井上に渡すための)にすぎないものとは到底認め難い。

(七)  論旨は、要するに、原判決は、(1)「一方、午後一〇時少し前ごろ、前記指示をした後「萩」へ見回りに行つていた被告人柴田は、途中で勤務を終え兵庫署へ帰る直轄警ら隊員を見付けたので、あとはむしろ保安係員の動向を知ることが大事だと思い、前記派出所前に赴いたところ、丁度同所から出て来た石原巡査を見つけるや、憤慨の念にわかに募り、『石原一寸来い』『裏から入らんと表から入つて来い』『もう一ぺん店へ来い』などと食つてかかり、同被告人をたしなめる島崎巡査の肩越しになおも『制服で勤務せんと巡査か何かわからへん、私服だと危ない』などと食つてかかつていたところへ、」(2)「まず前記『鳥源』から出て前記派出所の方へ向つていた被告人脇山、ついで騒ぎを聞きつけて駆け付けた同橋本、同齊本、同井上、同前田、同田中らが相続いて加わり、被告人柴田の言動に同調して『何ぬかすか』『おいやつたろうか』『こつちへこんかい勝負したる』などと罵声や怒声をあげ、」(3)「これに対し警察官の方も前記石原、島崎両巡査のほか、岡崎巡査が派出所前に出、池田巡査が同所入口の所でそれぞれ警戒に当たるなど非常に緊張した雰囲気となつた際」と認定判示しているが、右(1)の事実については、被告人柴田は、島崎巡査に対し石原巡査の前記「レツド」への立入り方法につき注意を促していたのみであり、その際多少の暴言を吐いたかも知れないが、「憤激の念にわかに募り」とか「島崎巡査の肩越しになおも……食つてかかつていた」とかの行為に及んだことはなく、右(2)及び(3)の各事実については、被告人田中及び前田を除く被告人脇山、同橋本、同齊本及び同井上が前記派出所前に駆け付け、同被告人らが被告人柴田と共に若干の暴言を吐いたことはあるが、原判示のような罵声や怒声をあげたことはなく、警察官が前記派出所の前や入口の所でそれぞれ警戒に当たるなど非常に緊張した雰囲気となつたこともなく、以上の諸点につき原判決には事実の誤認がある、というのであるが、右原判示事実中右論旨に関する部分は、証人岡崎修、同池田政信、同島崎密明、同上村隆弘、同掛川原勉、同堂本朋一、同今川幸生、同中村邦男、同黒木隆、同水下明及び同榎本久之の原審各公判調書中の供述部分及び被告人齊本の原審第四五回公判調書中の供述部分等原判決挙示の関係証拠により(被告人田中及び前田が前記派出所前に駆け付けた事実は、岡崎証人、池田証人、島崎証人及び被告人齊本の右各供述部分により)肯認することができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、右岡崎証人、池田証人、島崎証人、上村証人、掛川原証人、堂本証人及び水下証人の右各公判調書中の供述部分には被告人らに有利な証言も多々存するから、同証人らの右各供述部分をもつてしても右原判示事実は認定できない旨主張し、右各供述部分中被告人らに有利な部分を指摘しているが、(1)池田証人は、被告人柴田の発言内容を覚えていない旨の所論指摘の供述はしておらず、かえつて、被告人柴田が「一人で来い」とか「本気で勝負してやる」とか「表から来い」とかいつていた旨供述しており、その際の同被告人の態度等につき、「一応すごみをきかして肩をいからせてまあ一般人ならすぐ逃げ出すようなやくざ丸出しの言葉でした。」と供述しており、(2)島崎証人が、「わつ」という石原巡査の声がする直前柴田組の組員が同巡査にかかつて行くような態度があつたかどうかは気付かなかつた旨供述していることは所論のとおりであるが、他方、同証人は、石原巡査の姿を見た被告人柴田は「石原、もう一ぺん店に来んかい」といい、相当怒つた風だつたので、同被告人をたしなめたりなだめたりしたが、その後、同被告人は、私の後ろにいた石原巡査に対し「制服で勤務せんと巡査か何か分らへん。私服だと危ない。」と怒つた口調でいい。他の組員も、口々に「おい、やつたろうか」と怒鳴つたりしており、異常な雰囲気であつた旨供述しており、(3)上村証人が、被告人柴田と島崎巡査と話しているときは同被告人の声は怒鳴るような声ではなく普通の声だつた旨供述している点は所論のとおりであるが、島崎証人の原審第一〇、一一回各公判調書中の供述部分によれば、同被告人は同証人が巡査部長であつて石原巡査の上司であるかの如く錯覚していたこともあつて同証人に対しては強い言葉を用いなかつたものと認められるから、上村証人の右供述は右(1)ないし(3)の原判示事実と矛盾するものではなく、(4)掛川原証人が、前記派出所に戻つたときの被告人柴田と島崎証人との話し声を記憶していない旨供述していることも所論のとおりであるが、それは、前記の理由により同被告人が島崎証人に対しては大声を出したりしていなかつたことによるものと推認され、(5)堂本証人が前記派出所に戻つたときの被告人柴田と島崎証人との話の内容については供述しておらず、その話し方は平素と同じであつた旨供述していることは所論のとおりであるが、これらの原因も前記(3)で説示した理由によるものと推認され、また、同証人が他の組員も静かな様子であつた旨供述していることも所論のとおりであるが、堂本証人と掛川原証人が前記派出所に戻つたのは島崎巡査が被告人柴田をたしなめたりなだめたりしていたときであつたものと認められるから、そのために他の組員も静かであつたものと推認され、(6)水下証人が前記派出所に戻つたとき被告人柴田が説教めいたことをいつていたが気にしないで前記派出所内に入つた旨供述していることも所論のとおりであるが、同証人が前記派出所に戻つたのも島崎巡査が被告人柴田をたしなめたりなだめたりしていたときと推認されるから、前記(3)で説示した理由により同証人も気にしないで前記派出所内に入つたものと推認され、(7)岡崎証人は、被告人柴田は石原巡査に対し「石原一寸来い」といつたときや、同被告人が同証人らと話しているときは、平素よりも少し怒つていた(又は一寸激昂していた)ようで殺気立つていなかつた旨供述していることは所論のとおりであるが、右供述からしても同被告人が怒つていたことは認められるし、また、所論は、同証人が他の組員の言葉の調子は普通であつた旨供述していると主張するが、同証人は、他の組員の言葉については「おんどれ、何ぬかしてるんだ」と二、三人が口々にいつており、その言葉の調子は「まあ、普通、いわゆるはつたりをきかすような態度でした。」と供述しており、右供述の趣旨は、組員の言葉の調子が普通であつたとの趣旨であるとは解されず、さらに、同証人が騒ぎはさほど大きくなかつた旨供述しているとの所論指摘の点についても、原審第四回公判調書中の同証人の供述部分によれば、所論指摘の同証人の供述は「皆が集まつた頃には騒ぎとしてはさ程大きくはありませんでした。」との限定的供述であり、以上検討した諸点のほか、所論が右各証人の原審公判調書中の供述部分中被告人らに有利な部分として指摘する各点を検討してみても、前記認定を左右するに足りる事情は見当たらない。

(八)  論旨は、要するに、原判決は、前記(七)の判示に続き、「石原巡査から約二メートル離れた派出所前掲示板南端付近に立ち、同巡査に対する攻撃の機会を窺つていた被告人井上は、被告人らの挑戦的な罵声に応答した石原巡査の言葉の内容が気に食わないとして激昂し、「やつてやる」と叫んで右手にハンチングで隠し持つた前記くり小刀(刃体の長さ約一二・七センチメートル)を腰に構え、場合によつては死に至るもやむなしと決意し、小走りに同人の正面から体当たりして同人の下腹部を一回突き刺し、」と認定判示しているが、右事実中「やつてやる」から「突き刺し」までの事実は原判決が事実を誤認したものであり、被告人井上は、殺意をもつて石原巡査の腹を刺そうとしたのではなく、同巡査の足を刺すつもりであつたところ、同巡査が動いたりしたため前記くり小刀が同巡査の腹部に刺さつてしまつたのが事の真相である、というのであるが、原判決の右認定事実中右論旨に関する部分は、原判決挙示の関係証拠により優にこれを肯認することができ、殊に、被告人井上が殺意をもつて石原巡査を刺した事実は、原判示動機のほか、同被告人が原判示第一の所為の用に供した前記くり小刀が刃体の長さ約一二・七センチメートルの鋭利かつ堅牢な三角型のナイフであること、司法警察員作成の「殺人事件被害者石原克巳巡査の解剖結果について」と題する書面及び医師龍野嘉紹作成の鑑定書によれば、前記くり小刀による石原巡査の刺創は、身体の枢要部である腹部の臍から五センチメートル下方、腹部正中から約一センチメートル右に位置し、創管の長さは約一〇ないし一〇・五センチメートルに達していること、証人池田政信の原審第六・七回各公判調書中の供述部分及び被告人井上の原審第四一回公判調書中の供述部分によれば、同被告人は「やつてやる」と叫んで前記くり小刀を腰に構え、小走りに石原巡査の正面から体当たりして同巡査を刺したものと認められること、同被告人は、原審公判廷において、石原巡査の足を刺すつもりだつたのが同巡査が動いたため同巡査の腹に刺さつたことは十分考えられる旨供述すると共に同巡査を刺すとき同巡査は前記派出所の方へ少し動いた程度で、同巡査がかがんだりしたことは気がつかなかつた旨供述し、当審公判廷においても、弁護人から「刺す位置が違つたのはどういうわけか」と質問されたのに対し「それは向うもちよつと派出所の方へ動きましたからね」と答えているが、同巡査が前記派出所の方へ少し動いただけで同巡査の足に向けていた前記くり小刀が同巡査の腹部に刺さつたというのは不自然であり納得し得ず、また、同被告人は、当審公判廷において、右供述に続き、「石原巡査は被告人が出て行つたのに対して構えるような格好をしたのか」との弁護人の質問に対し「はい、柔道の構えのような格好をしました。」と答え、次いで、「柔道のような構えというと少し腰をおとして姿勢を低くしたということか。」との弁護人の質問に対し「そうです。」と答え、さらに、「そこへ被告人が刺したから腹に刺さつたということか。」との弁護人の質問に対し「はい。」と答えているが、同被告人の当審公判廷における右供述は、当審に至つてはじめてなされた供述であり、しかも、弁護人の誘導によりなされた供述であつてにわかに信用し難い点、裁判官の同被告人に対する勾留質問調書及び同被告人に対する勾留請求書謄本によれば、同被告人は、勾留される際、殺意をもつて原判示第一の犯行に及んだ事実を認めていること等の諸事情を綜合すると、同被告人が、原判示第一の犯行に及ぶに際し殺意(未必的)を有していたことは十分推認し得るものといわなければならない。

所論は、証人池田政信は、原審公判廷において、被告人井上が石原巡査を刺す前の同被告人の発言内容につき、検察官の主尋問の際には「殺してやる」といつた旨証言しながら、弁護人の反対尋問の際には「やつてやる」といつた旨訂正しており、しかも、同被告人の右発言前の石原巡査の発言内容については記憶がない旨証言しており、同被告人の右発言内容について証人上村隆弘が原審公判廷において、「やつてしもたれ」といつた旨池田証人の右証言と相違する証言をしている点を併せ考えると、同被告人の発言内容についての池田証人の右証言は信用し難い旨主張するが、同被告人が石原巡査を刺す前に「やつてしもたれ」というのは如何にも不自然であるから、上村証人の右証言は信用し難いのみならず、池田証人の原審公判廷における証言を検討すると、同証人が同被告人の発言内容について証言を変更するに至つた理由も合理的であつて不自然な点はなく、同被告人が石原巡査を刺す前に「やつてやる」といつた旨の同証人の証言は、その証言内容に照らして信用することができ、同証人が石原巡査の発言内容を記憶していないことをもつて右証言の信ぴよう性を疑うことはできない。

以上(一)ないし(八)において説示したところによれば、原判示第一の事実には、被告人脇山及び同田中が被告人井上に石原巡査に対する原判示投石を命じた事実に誤認があるが、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかな誤認とはいえず、その余の点については、以上の検討のほか所論の細部を検討しても所論のような事実の誤認は存しない。本論旨も理由がない。

控訴趣意中原判示第一の事実に対する法令適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、原判決は、被告人柴田、同脇山、同田中、同齊本、同橋本、同井上及び前田満久の間に石原巡査に暴行を加えることの共謀が成立したものと認め、被告人井上を除くその余の右被告人五名の原判示第一の所為につき刑法二〇五条一項を適用しているが、結果的加重犯である傷害致死罪が成立するためには死の結果に対する予見が可能であつたことを要するものと解すべきところ、右被告人五名にとつては石原巡査の死の結果に対する予見は不可能であつたから、右被告人五名の原判示第一の所為については同法二〇五条一項の傷害致死罪は成立しないものといわなければならず、従つて、右所為につき右法条を適用した原判決には法令の適用の誤りがあり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかしながら、同法二〇五条一項の傷害致死罪が成立するためには死の結果に対する予見の可能性を要しないものと解すべきであることは、最高裁判所の判例が度々示すとおりであるから、右被告人五名に石原巡査の死に対する予見の可能性がなかつたからといつて原判示第一の所為につき同法二〇五条一項の傷害致死罪が成立しないはずはなく、従つて、原判決には所論のような法令適用の誤りは存しない。本論旨も理由がない。

控訴趣意中原判示第三の事実に関する事実誤認の主張について

(一)  論旨は、要するに、原判決挙示の被告人山口修の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の任意性を認めてこれを証拠として採用した原裁判所の証拠決定の理由は、「被告人山口は事件当夜兵庫警察署に連行され、警察官から暴行を受けた疑いが強いが、しかし同被告人は翌日早朝釈放され、他の助言もあつて警察官から受けた暴行による傷害だとして医師の診断書を取るなど一応事態を冷静に判断し身構える態度を取つていること、本件における逮捕は約二〇日後になされ、この間弁護人と面談していることが認められること、拘置所に勾留され、この段階における取調べは全く平穏に行なわれたことを認められるので、同被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書は任意性に疑いをさしはさむべきものではない。」というのであるところ、右理由中、「身構える態度」は警察に対抗する意味であると思われるが、若年の同被告人が警察に対抗できるはずなく、また、同被告人が逮捕される前約二〇日の間に弁護人と面談したことはなく、さらに、拘置所に勾留されたうえ取り調べられたとはいえ、拘置所の職員が立ち会つたわけではなく、四、五人の警察官に取り囲まれて取り調べられたのであるから、その際になされた原判示第三の事実に副う供述は約二〇日前に警察官に暴行を加えられた際の恐怖心の影響下に不任意になされた虚偽の供述であることは明らかであり、このことは、同被告人の司法警察員に対する供述調書三通(兵庫警察署における取調べに基づいて作成された昭和四五年一〇月一五日付け供述調書を含む。)の内容が橋本渉及び井上彰の立つていた位置、動作、対話等の点で変遷していることからもうかがい知ることができ、従つて、被告人山口の司法警察員及び検察官に対する各供述調書は証拠能力を欠き該供述調書中の供述は信用性を欠くものといわなければならないのに、原判決は、右供述調書に基づき原判示第三の事実を認定したのであつて、右事実は真相に反するから、原判決には事実の誤認があり、仮に、そうでないとしても、同被告人が橋本渉に渡した前記、くり小刀につき、同被告人は、前記供述調書中においては、姜成守又は柴田正明から預かつた旨供述しているが、同人らが被告人山口に右小刀の保管を託すならば天井裏にでも隠させるはずであるのに、被告人山口が右小刀を前記「レツド」店内の誰にでも見える冷蔵庫の上の棚に置いていた(従つて、同店内に出入りする柴田組々員はいずれもそこに右小刀が置いてあることを知つていた。)点からすれば、同被告人は「そこらへ置いとけ」と命令されて機械的にそこに置いていたにすぎず、右小刀を預かつていたものではないものと推認され、従つて橋本渉からその小刀を「出せ」といわれるとこれを渡すよりほかはなく、これを拒否しても同人が自らこれを持ち出すに違いなく、このような事実関係に立脚すれば、被告人山口の原判示第三の所為は違法性を欠くものといわなければならないのに、原判決が右所為の違法性を認めたのは違法性を認定するための前提事実を誤認したことによるものといわなければならず、これらの事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、検討するのに、原審第四七回公判調書中被告人山口の供述部分、同被告人の原審公判廷(第九七回)における供述及び原審で取り調べた医師飯尾卓造作成の診断書によれば、同被告人は原判示第一の事件の翌日、同被告人が前夜兵庫警察署に連行され警察官から暴行を受け傷害を負つた旨の事情を聞知した大倉弁護人の助言もあつて、医師の診断を受けて診断書を入手したうえ、自らその診断書を同弁護人のもとに持参し、同弁護人と面談した事実が認められるのであり、同被告人自身は若年であるとはいえ、弁護人の助力を得て警察に対抗する態度をとつたと認めることは何ら不自然とはいえず、また、同被告人の前記公判調書中の供述によれば、同被告人は原判示第一の事件後約二〇日もたつてから逮捕され拘置所に勾留されて取調べを受けているのであつて、このことに徴すると、取調べ中取調べ官以外に三、四人の警察官がそばに来て「無理やりにバーバー」いつていた旨の前記公判調書中の同被告人の供述は措信し難く、同被告人を取り調べた警察官である前田貢及び藤井清右の原審公判廷における各証言をも併せ考えると、右取調べは平穏に行われたものと認められ、さらに、所論指摘の同被告人の司法警察員に対する供述調書三通の内容をみても、その内容が所論指摘の点で供述の任意性を疑わねばならないほど変遷しているとは認められず、これらの諸事情に加えて、同被告人が裁判官の勾留質問の際、前記くり小刀は多分喧嘩に使うだろうと思つて橋本渉に渡した旨原判示第三の事実に副う供述をしている点及びこの点に関する同被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書中の供述は、原判示第一の事件の二、三日前柴田正明又は姜成守から右小刀を受け取つた際、その小刀は原判示第五の(三)の犯行に使用されたものであることを聞知していたので、井上彰らがまた誰かと喧嘩をして脅したり刺したりするのに使用するものと思つた旨の供述であつて、その供述内容自体何ら不自然とは考えられない点を考慮すると、原裁判所が前記理由に基づき右各供述調書中の同被告人の供述の任意性を認めたのは決して不合理とはいえず、右各供述調書中の供述は信用し得るものといわなければならず、右各供述調書中の同被告人の供述のほか、関係証拠を綜合すると、原判示第三の事実は優にこれを認めることができるから、原判示第三の事実自体には所論のような事実の誤認は存しないのみならず、司法警察員西村潔作成の昭和四五年九月二五日付け検証調書によれば、被告人山口が前記小刀を置いていた前記「レツド」店内の冷蔵庫の上の棚は、誰にでも見える棚ではあるが、同店内の一番奥にあつて、食器等が置いてあるから、その棚に前記小刀を置いた場合その小刀が誰にでもすぐ目につくとは限らず、被告人山口の司法警察員に対する同年一〇月二〇日付け供述調書中の供述によれば、前記小刀の置き場所は同被告人だけしか知らなかつたものと認められるのであつて、前記小刀は、同被告人が司法警察員及び検察官に対する各供述調書中で供述している如く、原判示第一の事件の二、三日前の夜中に柴田正明又は姜成守から預かり自己の判断に基づき前記棚の上に置いて保管していたものと認めざるを得ず、柴田又は姜が前記小刀を渡す際その隠し場所を指定しなかつたからといつて同人らが前記小刀の保管を託さなかつたものと認めなければならないいわれはないから、原判決が被告人山口の原判示第三の所為の違法性を認めるための前提事実を誤認したものとは考えられない。本論旨も理由がない。

(二)  論旨は、要するに、原判決は、「弁護人の主張に対する判断」の項において、被告人山口は原判示第三の所為以外の適法行為に出る期待可能性がなかつた旨の原審弁護人の主張に対し、「同被告人と橋本、井上は同人らの所属する暴力団において身分上上下の関係にはないので、橋本らの要求を拒む期待可能性がないとはいえず、右弁護人の主張は採用できない。」と判断し、「罪となるべき事実」の冒頭においても、同被告人が柴田組の組員である旨判示しているが、同被告人が柴田組の組員であると認めるに足りる証拠はないから、原判決は同被告人の原判示第三の所為の期待可能性の有無を判断するための前提事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、検討するのに、なるほど、被告人山口が柴田組の組員であると認めるに足りる証拠はなく、同被告人の司法警察員に対する昭和四五年一〇月一五日付け供述調書によれば、同被告人は柴田組の準組員にすぎなかつたものと認めるのが相当であるから、原判決には所論のような事実の誤認が存するものといわなければならないが、同被告人の司法警察員に対する同年同月二〇日付け供述調書及び検察官に対する同年同月二二日付け供述調書によれば、同被告人が橋本渉に前記小刀を渡すのを拒否しなかつた理由は、渡さないと後で柴田組の者から怒られたり文句をいわれたりするのがいやだからというにすぎないものと認められ、右のような理由をもつてしては同被告人が橋本に前記小刀を渡すのを拒否しなかつたことにつき期待可能性がなかつたとはいえないから、原判決の右事実誤認は判決に影響を及ぼすものではない。本論旨も理由がない。

控訴趣意中原判示第二の事実に関する事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、被告人柴田、同脇山、同田中、同齊本、同橋本及び前田満久につき、原判示第二の事実を認定しているが、(一)被告人柴田は井上彰が原判示の如く逮捕されようとした際、同被告人を暴れさせないため同人の腰にしがみついたのみで、同人を逃亡させるつもりはなく、上村巡査に対し原判示のような所為に及んだこともなく、(二)被告人脇山は、井上彰が原判示の如く逮捕されようとした際、池田巡査が井上に暴行を加えているのを制止したのみで、井上を逃亡させるつもりはなく、掛川原巡査に対し原判示のような暴行を加えたこともなく、(三)被告人橋本は、井上彰が原判示の如く逮捕されようとした際、同人が暴れるのを制止するため同人と警察官の間に入つたのみで、井上を逃亡させるつもりはなく、上村巡査に対し原判示のような暴行を加えたこともなく、(四)被告人田中は、井上彰が原判示の如く逮捕されようとした際には、その場所に来ていなかつたから、原判示のような逮捕妨害行為をするはずはなく、また、他の被告人と井上を逃亡させようとの意思を相通じたこともなく、(五)被告人齊本は、井上彰が原判示の如く逮捕されようとした際、同人を逃亡させるつもりはなく、島崎巡査に対し原判示のような暴行を加えたこともなく、また、池田巡査の警棒を取り上げたことはあるが、それは同巡査が井上を警棒で不当に殴打しているのを制止するためであり、同巡査が井上の凶器を取り上げようとしたからではなく、(六)前田満久も、井上彰が原判示の如く逮捕されようとした際にはその場に来ておらず、かつ、他の原判示被告人らは同人との間に井上を逃亡させようとの意思を相通じたこともなく、これらの点につき原判決には事実の誤認(但し、被告人齊本が警棒を取り上げた理由についての事実誤認は同被告人の行為の違法性を判断するについての前提事実の誤認)があり、右各誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、次のとおり判断する。

(一)  被告人柴田に関する論旨について

同被告人が井上彰を逃亡させる目的で原判示所為に及んだことは原判決挙示の関係証拠、殊に、井上を逮捕するために同人の左手を右手でつかんで左手で手錠をかけようとした際、被告人柴田が体当たりして来て帯革を握り後ろの方にしやくりながら「逃げ、逃げ」といつて井上を逃がそうとした旨の上村隆弘の原審第一三回公判調書中の供述部分によりこれを認めることができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、井上彰が逮捕された際その場にいた警察官七名(上村隆弘、岡崎修、池田政信、島崎密明、堂本朋一、掛川原勉及び水下明)のうち、被告人柴田の原判示所為につき、積極的な証言をしているのは上村のみであり、堂本はかえつて否定的証言をしており、その他の警察官は何らの証言もしていないから、上村の右証言は誤認に基づく証言と思われ信用できない旨主張するが、井上が逮捕された現場に居合わせた警察官のうち、岡崎は井上が石原巡査を刺した直後地面に落ちていた前記くり小刀を拾つて前記派出所内に入り、その後は殆どパトカーの応援を求めることに専念していたために被告人柴田らの原判示所為を目撃していなかつたことが岡崎巡査の原審第四回公判調書中の供述からうかがわれるから、同巡査が被告人柴田の原判示所為について何ら証言していないからといつて不自然とはいえず、また、同被告人の原判示所為につき、堂本巡査が「記憶がない」とか「見ていない」とか証言し、池田巡査、島崎巡査、掛川原巡査及び水下巡査部長らがいずれも何ら証言していない点も、井上が逮捕されるその場は混乱状態であり右警察官はいずれも井上を逮捕することに気を奪われていたこと(関係証拠により認められる。)に徴すると不自然とはいえず、かかる諸事情のほか、上村巡査は前記派出所に勤務していた巡査であつて、平素から被告人柴田らを知つており、井上が石原巡査を刺す前にも前記派出所内外において再三被告人柴田を見かけていたこと(関係証拠により明らかである。)に徴すると、上村巡査が被告人柴田以外の者の行為を同被告人の行為と誤認して前記証言をしているとは到底考えられない。

次に、所論は、被告人柴田は井上の原判示第一の犯行により石原巡査がその場に倒れた際、「脳しんとうや、起こしたらあかん」といつて同巡査の身を案じていたことが証拠上認められ、この事実からすれば、同被告人が原判示のような逮捕妨害行為に及ぶとは考えられず、また、同被告人は、井上が逮捕されようとした際、同人を暴れさせないためにその腰にしがみついているうちに、前田満久が模擬刀を持つて駆け付けて来たので同人のそばに駆け寄つてその刀を取り上げ、前記派出所前に引き返してみると、井上は既に前記派出所内に連れ込まれていたものと証拠上認められるから、この間に被告人柴田が上村巡査に対し原判示所為に及ぶ時間的余裕はなかつたはずであるし、若し、同被告人に井上の逮捕を妨害する意思があつたとするならば、わざわざ前田から模擬刀を取り上げるはずはなく、この点からしても被告人柴田に井上の逮捕を妨害する意思がなかつたことは明らかである旨主張するところ、なるほど、被告人柴田は、司法警察員に対する昭和四五年一〇月一一日付け供述調書及び検察官に対する同年同月一五日付け供述調書中において、井上が逮捕されようとしたので同人の腰のあたりを引つ張つたがすぐ引き離され、その際、前田が日本刀を持つて走つて来たので同人のそばに走り寄り「帰れ」といつて追い返し、前記派出所前に引き返してみると、井上は既に前記派出所内に入れられかけていた旨供述しており、右供述をすべて信用する限り被告人柴田が上村巡査に対し原判示暴行を加える機会はなかつたものといえないではないが、上村巡査の前記証言が信用できる以上同被告人の右供述を全面的に信用することはできず、同被告人は井上の腰を引つ張る前後において上村巡査に対する原判示所為に及んだものと認めるほかはないのみならず、前田の検察官に対する昭和四五年一〇月一二日付け供述調書によれば、被告人柴田は、前田が抜き身のままの模擬刀を振りかざして走つて来るのを見て、その刀を捨てさせたのみであつて、同人に井上の逮捕妨害行為をさせないために追い返したりしたのではないものと認められるから、被告人柴田に右のような行為があつたからといつて同被告人に井上の逮捕を妨害する意思がなかつたと認めることはできず、また、原判決も認めているように被告人柴田は石原巡査の殺害までも認容していたわけではなく、それ故に、同巡査が倒れた際「脳しんとうや、起こしたらあかん」といつて同巡査の身を案じたものと認めるのが相当であるから、右のような事実が存するからといつて、同被告人に井上の逮捕を妨害する意思があつたことを否定することもできない。

(二)  被告人脇山に対する論旨について

同被告人が井上彰を逃亡させる目的で原判示所為に及んだことは、原判決挙示の関係証拠、殊に、井上を逮捕しようとした際被告人脇山が井上の身体を後ろから持つて「早う逃げ」といつていた旨の原審第一三回公判調書中の証人上村隆弘の供述部分、井上を逮捕しようとして同人の腕を引つ張ろうとしたら被告人脇山が井上の後ろから抱きついて腕を引つ込めるようにし、同人に手錠をかけようとした際にも手錠の環をつかんで邪魔をした旨の原審第一七回公判調書中の証人掛川原勉の供述部分、掛川原巡査が井上を逮捕しようとしてその腕を引つ張るようにしていた際被告人脇山が井上を背後から引つ張るようにして掛川原巡査の逮捕行為を邪魔しているので、被告人脇山を後ろへ引つ張つて離そうとした旨の原審第一九回公判調書中の証人堂本朋一の供述部分のほか、同被告人が当審公判廷において原判示犯行に及んだことを自白している点から優に肯認することができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、被告人脇山は、前田がビールびんを振り上げて前記派出所前へ駆け付けて来るのを制止したり、被告人柴田に対し早く病院に帰るようにすすめたりしており、このような事実からすると、被告人脇山が原判示のような公務執行妨害の所為に出るとは考えられず、右上村、掛川原及び堂本の右各証言は、被告人脇山が池田巡査の井上に対する暴行(逮捕に必要な行為以上のもの)を制止した行為を公務執行妨害行為と見誤つたためになされた証言と思われ信用できない旨主張し、被告人脇山も、原審公判廷において、同被告人としては、警察官が井上を警棒で殴つたり長靴で蹴とばしたりするのを制止したにすぎない旨右主張に副う供述をしているが、同被告人が所論指摘の前田の行為を制止した理由は、原判示第一の事実に関する事実誤認の主張に対する判断中の(六)において説示したとおりであり、また、同被告人は、原審公判廷において、前記福原サウナセンター前付近において被告人柴田に対し早く病院に帰るようすすめたら同被告人は「病院に帰るわ」といつて前記「レツド」の方へ帰つた旨供述しているが、被告人柴田が右供述に対応する供述をしていない点等からすれば被告人脇山の右供述は必ずしも信用し難く、被告人脇山が捜査段階においては警察官の井上に対する暴行を制止した旨の供述を何らしておらず、当審公判廷においては原判示犯行に及んだことを自白するに至つていることに徴すると、所論に副う同被告人の原審公判廷における右供述は信用し難く、他に右主張を裏付けるに足りる証拠は存しない。

(三)  被告人橋本に関する論旨について

同被告人が井上彰を逃亡させる目的で原判示所為に及んだことは、原判決挙示の関係証拠、殊に、上村巡査が井上を逮捕しようとしていた際同巡査の後方からその頭を殴つていた男がおり、その男は被告人橋本と思う旨の証人水下明の原審第三一回公判調書中の供述部分、警察官数人が井上を逮捕しようとしているとき、被告人柴田が井上の腰付近にしがみついたりして同人が逮捕されないようにしていたので、私も一緒になり同人を逃がしてやろうと思い、その警察官の腰を引つ張つたり押したりした旨の被告人橋本の検察官に対する昭和四五年一〇月一二日付け供述調書中の供述等により肯認することができる。所論は、同被告人の右供述調書中の自白部分は弁解しても許されないので検察官に迎合してなした虚偽の供述であつて信用できないし、上村巡査の頭部を殴つた旨の同被告人の原判示所為についても、その点の目撃証人は水下証人以外には存しないから、水下証人の右供述のみをもつて同被告人が右所為に及んだ事実を認定するのは危険である旨主張し、同被告人も、原審、当審各公判廷において、原判示所為に及んだことを否認し、右自白は虚偽である旨供述しているので検討するのに、同被告人の原判示所為に関する原審、当審各公判廷における供述は、要するに、井上と石原巡査が取つ組合いの格好になつているところへ警察官が寄つて行つて囲む格好になつたので、警察官が井上を逮捕しに来たとは思わずに井上と石原巡査をわけるため中に入り、その際警察官の腰を引つ張つたことがあるかもわからない、というのであるが、同被告人は、原審公判廷において、警察官が井上と石原巡査に寄つて行つた際「手錠、手錠」といつていた旨供述しており、右供述によれば、警察官が井上を逮捕しに来たとは思わずに井上と石原巡査をわけるために中に入つた旨の同被告人の右供述は信用できず、この点からすれば、同被告人の右公判調書中の供述よりも右供述調書中の自白の方が信用できるものといわなければならないし、水下証人の右証言もその信ぴよう性を疑うべき事情は見当たらないから、右所論は首肯し難い。

(四)  被告人田中に関する論旨について

井上彰が逮捕される際、その現場に被告人田中が来ており、同人を逃亡させる目的で他の被告人らと意思を相通じたうえ原判示所為に及んだことは、原判決挙示の関係証拠、殊に、井上を逮捕しようとした際、被告人田中は「井上逃げえ」といつて井上の腕を引つ張つて逃がそうとした旨の証人池田政信の原審第六回公判調書中の供述部分、被告人田中は、井上が石原巡査を刺す直前頃前記派出所前に来ていて、警察官が井上を逮捕する際警察官の後方をぐるぐる回つて警察官を押したりしていた旨の証人島崎密明の原審第一〇、一一回各公判調書中の供述部分、警察官は捕まえた柴田組の者を前記派出所に連れ込むため入口の方へ移動して行き、柴田組の組員もその警察官の腰を引つ張つたりしながら前記派出所の入口へ移動して行き、警察官と柴田組々員のかたまりが前記派出所の中に入つて行つたが、そのかたまりの中に井上と被告人田中がいて前記派出所の中に入つて行つた旨の前田満久の検察官に対する昭和四五年一〇月一二日付け供述調書中の供述により肯認することができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、池田証人の右供述は、井上が逮捕されて前記派出所に入れられた後被告人田中が前記派出所に入つて井上に金銭を渡した際のことを錯覚してなした供述であつて信用できない旨主張するが、井上が逮捕されて前記派出所に入れられてから被告人田中が前記派出所に入つて井上に金銭を渡した当時なおも同人の逮捕を妨害する行為がなされた形跡は証拠上全く認められないから、池田証人の前記供述が所論のような錯覚に基づく供述であるとは到底考えられない。

次に、所論は、前田が前記派出所前に駆け付けた際には、井上は既に逮捕されて前記派出所の中に入れられていたものと認められることは後記主張のとおりであるから、被告人田中が井上と共に前記派出所に入つて行くのを前田が目撃するはずはなく、前田の前記供述は捜査官の誘導による虚偽の供述と考えるほかはなく、このことは、原判示第一の事実に関する事実誤認の主張中で主張した如く、同人の前記供述調書中の供述が整いすぎていることなどからして明らかである旨主張するが、井上が逮捕される前既に前田が前記派出所前に来ていたものと認められることは後記説示のとおりであるのみならず、同人の前記供述調書中の供述がその供述内容自体からしても捜査官の誘導に基づく虚偽の供述とは認められないことは、原判示第一の事実に関する事実誤認の主張に対する判断中において判断したとおりである。

次に、所論は、被告人田中は、原審公判廷において、原判示第一及び第二の事件後前記派出所付近にいた山口修が警察官によつて前記派出所に連れて行かれた際、同被告人も山口について前記派出所に行つた旨供述しており、証人片桐義雄も、原審公判廷において、山口が前記派出所に連れて行かれた際被告人田中も来ていた旨供述しているところ、若し、同被告人が真実原判示第一及び第二の各犯行に及んでいたとすれば逮捕されるのをおそれて右のような行為に出るはずはないから、同被告人の右所為は、同被告人が原判示第二の犯行に及んでいないことの証左である旨主張するが、山口が前記派出所に連れて行かれた際、前記派出所に赴いていた証人片桐義雄は、原審公判廷において、被告人田中が前記派出所に来ていることを否定する趣旨の供述をしている点、及び山口が捜査官に対する供述調書中及び原審、当審各公判廷において被告人田中の右供述に副う供述をしていない点に徴すると、山口が前記派出所に連れて行かれた際、被告人田中が警察官や山口に気付かれるような状態で山口と一緒に前記派出所に赴いたとは認め難い。

(五)  被告人齊本に関する論旨について

同被告人が井上彰を逃亡させる目的で原判示所為に及んだことは、原判決挙示の関係証拠、殊に、井上が石原巡査を刺した際同人を逮捕するため同巡査から引き離そうとしたが離れないので、離れさせるために警棒で同人の肩を三回位叩き、同人が前記くり小刀を落した際、被告人齊本に警棒を取られた旨の証人池田政信の原審第六、七回各公判調書中の供述部分及び井上を逮捕するため柴田組々員の妨害の排除に当たつていたら被告人齊本に引つ張られたり押されたり飛び乗られたりしたことが特に印象に残つている旨の証人島崎密明の原審第一〇回公判調書中の供述部分により肯認することができ、石原巡査から離れて前記派出所の入口近くまで(入口から約一メートルのところ)引つ張つて行かれ、そこでかがんで下を向き警察官に取り囲まれていた井上を池田巡査が後ろから飛び越えるようにして井上の頭等ところきらわず警棒で殴つていたので見るに見かねてその警棒を取り上げた旨の前記論旨に副う被告人齊本の原審第四五、四七回各公判調書中の供述は、池田巡査が警棒で井上を殴打した際の状況につき、池田証人の右供述と著しく相違するのみならず、井上と石原巡査がお互いに持ち合つていた際後ろから警棒で井上を殴つていた池田巡査に被告人齊本が飛びかかつて行き警棒の取合いをした旨の被告人脇山の原審第五九回公判調書中の供述とも著しく相違しており、しかも、被告人齊本の供述するような状況下で池田巡査が井上を警棒で殴打するのは不自然と思われること等からして借信し難く、従つて、同被告人の右供述に副う当審公判廷における同被告人の供述も借信し難い。

なお、所論は、島崎証人の右供述は、井上が逮捕される現場にいた他の警察官が右供述にあらわれた同被告人の原判示所為に関し何ら供述していない点からして信用し難い旨主張するが、島崎証人の右供述はその供述内容自体からして十分信用することができ、所論の事由をもつて同証人の右供述の信用性を否定することはできず、同証人の右供述に反する同被告人の原審、当審各公判廷における供述は信用し難い。

(六)  前田に関する論旨について

井上彰が逮捕される際前田がその現場に来ており、同人及び他の原判示被告人らが井上を逃亡させようとの意思を相通じ、前田が原判示所為に及んだことは、原判決挙示の関係証拠、殊に、石原巡査が午後一〇時からの広報活動に行くため前記派出所内から出た後午後一〇時頃前田がビールびん(ビールが入つていた。)を持つて前記派出所前に来た旨の証人岡崎修の原審第四回公判調書中の供述部分、石原巡査が広報活動に行くため午後一〇時頃前記派出所内から出た後前田はビールびんを振り上げて前記派出所の方へ駆け付けて来たが、被告人脇山に制止され、そのビールびんを何処かに置いてまた引き返して来て、警察官が井上を逮捕する際にも、その場にいて逮捕行為の邪魔をした旨の証人池田政信の原審第六回公判調書中の供述部分、石原巡査が広報活動に行くために午後一〇時前頃前記派出所内から出た後前田がビールびん(ビールが入つていて口から泡が出ていた。)を持つて前記派出所前に駆け付け、井上が逮捕されるときにもその場にいた旨の証人島崎密明の原審第一〇回公判調書中の供述部分、中味の入つているビールびんを買つて前記派出所の方へ行く途中ビールびんを草むらにかくして前記派出所前に行つたら警察官と柴田組の者が一団となつてつかみ合いをしている状態であり、柴田組の誰かから「道具を持つて来い」といわれたので、同組の誰かが警察官に暴力を振るつたためその組員を逮捕しようとする警察官と他の柴田組のものが喧嘩をしているものと思い、自分も他の組員と一緒になつて警察官に暴行を加えようと思い、前記「レツド」から刀を持ち出して前記派出所前に引き返す途中被告人柴田に制止され、その刀をその場に捨てて前記派出所前に赴き、柴田組の者を逮捕しようとしている警察官の腰や手を他の組員と一緒に引つ張つたりして警察官の逮捕行為を妨害した旨の前田の前記警察官に対する供述調書中の供述により肯認することができ、右認定に反する証拠は信用し難い。

所論は、岡崎証人及び池田証人の右各供述中前田がビールびんを持つて駆け付けて来た旨の供述部分は石原巡査が刺される時点よりかなり前の出来事についての供述であるから、右各供述は、前田の原判示所為を立証する証拠にはなり得ない旨主張するが、右証人らの供述を検討すると、前田がビールびんを持つて駆け付けて来たのは、石原巡査が刺される直前頃前記派出所から出て来て柴田組の組員から原判示第一のような罵声や怒声を浴びていた頃と推認されるから、右供述は前田の原判示所為を立証し得る証拠となり得るものといわなければならない。

次に、所論は、前田が前記供述調書中において供述しているように、真実警察官の井上に対する逮捕行為を妨害しているとすれば、当時前田は上半身裸体であつたのであるから、同人の右妨害行為を目撃した者がいるはずであるのに、右妨害行為を目撃した旨証言している警察官は一人もいない点、及び柴田組の誰かが前田に対し「道具を持つて来い」といつたのが真実ならば前田が模擬刀を持つて来るのを被告人柴田が制止するはずはなく、これらの点からして前田の右供述調書中の供述は信用し難い旨主張するが、池田巡査の右公判調書中の供述部分によれば、同巡査は警察官の井上に対する逮捕行為を前田も妨害した旨証言しており、また、井上が逮捕された当時現場は混乱状態であつたものと認められる点からすれば、被告人柴田以外の柴田組々員が前田に対し「道具を持つて来い」といつたのを同被告人が気付かなかつたために(気付いていたと認めるべき証拠はない。)前田が模擬刀を持つて来た際同被告人がそれを制止することは考えられないことではない。

以上の次第であるから、原判示第二の事実についても原判決には所論のような事実の誤認は存しない。本論旨も理由がない。

控訴趣意中原判示第五の(一)の事実に関する事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、中島クリーニング店前付近路上において被告人柴田らが千代甚八に対し「新生会からでもちよつとしたことで二〇萬円とつた」と申し向けた旨の事実を認定判示しているところ、右事実につき、千代は、原裁判所の証人尋問調書中において、中島クリーニング店前付近路上に赴いた際被告人柴田から「指はいらん」という趣旨のことをいわれ、それに続き「新生会からでもちよつとしたことで二〇〇萬円とつた」との趣旨のことをいわれた旨証言しているが、中島クリーニング店前付近路上において千代の背後にいた同人の子分の菅野雅之は、検察官に対する供述調書中及び原審公判廷において、同被告人が千代に申し向けた右言葉のうち前者は聞いたが後者は聞いた記憶がない旨供述しており、菅野は原判示第五の(一)の事実の被害者ではなく若くて純真であるのに対し千代は原判示第五の(一)の事実の被害者であり老かいで多くの前科を有することをも考慮すれば、菅野の右供述は千代の右証言に比して信用し得るものといわなければならず、かかる事情のほか、若し、被告人柴田が中島クリーニング店前付近路上において千代から金員を喝取する意図があつたとすれば、前記派出所から目と鼻の先にある中島クリーニング店前付近路上に千代を呼び出さないで他の適当な場所に呼び出すはずであり、また、中島クリーニング店前付近路上に来た大坂の不心得に対し同人を怒りつけてその場にいた千代に恐怖心を起こさせるような態度をとるはずであるのに、かえつて若い大坂をさとしていることをも併せ考えると、同被告人が被告人井上と大坂の原判示口論を聞知してこれを種に千代から金員を喝取しようと企てたとは到底認め難く、同被告人が千代から金員を喝取しようと企てたのは被告人姜及び前田が原判示のような負傷をした後のことであるから、被告人柴田、同脇山、同姜、同田中、同井上、同平原及び同橋本が原判示の如く中島クリーニング店前付近路上において互いに意思を相通じて千代に対し金員交付を要求するはずはなく、従つて、また、被告人姜及び前田が原判示のような負傷をしたことにも因縁をつけて千代から金員を喝取する決意をますます固めるはずもなく(殊に、被告人姜は、右負傷をした後直ちに病院に赴いて治療を受けそのまま帰宅している。)、さらに、被告人柴田方及びその付近の自動車内においても、千代から金員を喝取したのは被告人柴田及び同脇山のみであり、その余の前記被告人ら及び被告人齊本は被告人柴田らの右犯行に加担しておらず、仮に、加担しているとしても、被告人柴田らの右犯行を幇助したにすぎない(但し、被告人姜については幇助犯も成立しない。)から、被告人柴田及び同脇山を除くその余の前記被告人らにつき原判示第五の(一)の事実を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人柴田及び同脇山を除くその余の右被告人らに対する関係においても、原判示第五の(一)の事実は優にこれを肯認することができる。すなわち、原判示中島クリーニング店前付近路上において被告人柴田が千代に対し「新生会からでもちよつとしたことで二〇萬円とつた」との趣旨のことを申し向けたかどうかについては、被告人橋本が検察官に対する昭和四五年一一月一八日付け供述調書中において、被告人姜が検察官に対する同年同月二〇日付け供述調書中において、いずれも積極的に供述しており、右各供述に反する同被告人らの原審公判廷における各供述よりも右各供述調書中の供述を信用すべき特別の情況が存することは原裁判所も認めるとおりであるから、右各供述調書中の供述と同旨の千代の前記証人尋問調書中の供述は信用するほかはなく、所論が、同人の右供述の信用性を否定すべき事情として指摘している諸事情を検討してみても、同人の右供述の信用性を否定しなければならないほどの事情は見当たらず、してみると、被告人柴田が被告人井上と大坂の原判示口論を聞知しこれを種に千代から金員を喝取しようと企てた旨の原判決の事実認定は正当といわなければならず、被告人柴田が前記派出所に近い中島クリーニング店前付近路上(前記派出所に近いとはいつても同被告人らの話し声が聞えるほどの極端な近距離ではない。)に千代を呼び出したこと、及び大坂が来てから同被告人が大坂をいきなり怒りつけず、まず説教するような態度をとつたこと(菅野の警察官に対する同年同月一一日付け供述調書により認められる。)をもつてしても、原判決の右認定を左右することはできず、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人姜、同脇山、同井上、同平原及び同橋本は、千代が大坂に指をつめさせて謝罪させる旨申し向けたのに対し被告人柴田が「指はいらん」「新生会からでもちよつとしたことで二〇萬円とつた」との趣旨のことをいつたのを聞き、かつ、その場の状況から同被告人の千代に対する金員喝取の犯意を察知し、被告人柴田と共同して千代から金員を喝取しようと決意し、右各被告人の間に千代から金員を喝取することの共謀が成立するに至り、次いで、右被告人らは原判示のいきさつにより被告人姜及び前田満久が負傷したことによりそのことにも因縁をつけて千代から金員を喝取する決意をますます固め、さらに、被告人柴田方及びその付近の自動車内において原判示犯行に及んだもので、その際被告人姜は自宅に帰つていたが前記共謀から離脱してはおらず、また、被告人齊本は自宅から呼び出されて被告人柴田方に赴き、その場の状況から他の被告人らの犯意を察知し他の被告人らと共謀して原判示犯行に及んだことが認められる。なお、原判決挙示の関係証拠によれば、千代からおとしまえとして金員を喝取することは柴田組自体の面子に関する問題であつたものと認められること、及び右犯行に及んだ被告人らのうち被告人柴田を除く被告人らはいずれも柴田組の組員であつたこと等に徴すると、被告人柴田を除く右被告人らは同組の組長である被告人柴田と共同して右犯行を遂行する意図であつたことは明らかであり、単なる幇助の意思で被告人柴田の右犯行に加担したものとは到底認め難い。

してみると、原判示第五の(一)の事実についても原判決には所論のような事実の誤認は存しないものといわなければならないから、本論旨も理由がない。

控訴趣意中量刑不当の主張について

論旨は、要するに、被告人山口を除くその余の被告人に対する原判決の量刑は不当に重い、というのである。

そこで、検討するのに、原判示第一の犯行は、被告人らが石原巡査の前記「レツド」への立ち入り方法について憤激しこれに報復を加えようとしたことが直接の動機となつているものと認められるが、同巡査が同店に土足で立ち入つたかどうかについては、被告人山口は検察官に対する前記供述調書中において同巡査が土足で立ち入つたとは供述しておらず、原審公判廷においてはじめて同巡査が土足で立ち入つたことを肯定する趣旨の供述をするに至つており、同被告人の右供述調書中の供述によれば、同巡査は同店の裏口のドアを開け中に入らずに入口のところから同被告人に声をかけ短時間同所にいたのみである点を併せ考えると、果たして同巡査が土足であつたことまでも同被告人が確認したかどうかは疑わしく、かえつて、同巡査が原判示元禄荘入口で靴を脱いで中に入つた後入口に戻つて来たとき靴を履くのを目撃した旨の証人榎本久之の原審第三三回公判調書中の供述部分の方が信用し得るものと認められ、次に、同巡査が同店に赴いた際、同店表入口が施錠されていたため開けようとしても開かなかつたため同巡査は裏口に回つたものと認められることは原判示第一の事実に関する控訴趣意に対する判断の(一)において説示したとおりであり、これらの事情からすれば石原巡査の前記「レツド」への立ち入り検査については同巡査には何ら落度はないものといわなければならず、次に、原判示の如く、被告人井上が原判示第一の犯行に及ぶ直前被告人らの挑戦的な罵声に応答した石原巡査の言葉の内容が気に食わないとして激昂したことも右犯行の動機となつているところ、同巡査の右言葉の内容について、被告人井上は、原審公判廷において、同巡査は「店をつぶしてしまう」といつた旨供述しているが、当審に至つて、同巡査はそこまではいわなかつたと思うが「今直ぐに行つて店をつぶすことはつぶせる」というようなことをいつた旨原審公判廷における右供述と異なつた供述をする一方、同巡査のいつた言葉はくわしく覚えていない旨供述しており、同被告人の右供述の変遷と「今直ぐに行つて店をつぶすことはつぶせる」との言葉は同巡査のいつた言葉としては不自然と思われることに徴すると、同巡査は同被告人にとつて気に食わないようなことをいつたとしても、同被告人の右供述にあらわれているような挑発的暴言を吐いたとは認め難く、さらに、関係証拠によれば、同巡査の前記「レツド」への強硬な立ち入り検査につき同巡査に報復を加えることにより前記「レツド」等に対する警察の取り締りの強化を防止しようとしたことも原判示第一の犯行の二次的な動機となつているものと推認されることからすれば、原判示第一の犯行は動機的にも極めて悪質な犯行といわなければならず、これに加えて、右犯行は単なる偶発的犯行ではないこと、被害者である同巡査が当時二九才の若い真面目な警察官であり、妻と生後間もない一児を擁し円満な家庭生活を営んでいたこと等を考慮すれば、被告人らの原判示第一の犯行の刑責は重大といわなければならないことはもちろん、原判示第一の犯行に付随して行われた原判示第二の犯行も悪質といわなければならず、次に、原判示第五の(一)の犯行も、暴力団犯罪の典型的なものであり、被害者千代甚八は右犯行当時は堅気になつていたもので、同人には何ら落度はなく、犯行の態様も悪質であり、被害額も多額であり、喝取した金員は被告人らにおいて分配して遊興、飲食費等に費消しているのであつて、これまた悪質な犯行といわなければならず、原判示第五の(二)及び(三)の各犯行も原判示第五の(一)の犯行の中途において行われた犯行であつて、酌量すべき特段の事情はなく、原判示第六の(一)ないし(三)及び第九の各犯行は、いずれも、客に対し法外な飲食代金を請求しながら、その代金が高すぎるといつて払わない客に対し原判示のような執拗な犯行に及び三島守に対しては原判示のような傷害を負わせたものであり、被害者に何ら落度が認められない点を考慮すると右各犯行も極めて悪質といわなければならず(なお、所論は原判示第六の(一)、(二)の所為は包括一罪である旨主張するがそのようには解されない。)、原判示第八の犯行は動機の点からも結果の点(原判示川崎春美を逃走させた。)からも悪質であり、原判示第七及び第一〇の各犯行にも何ら酌量の余地はなく、以上の諸事情のほか、被告人らの本件各犯行は、いずれも暴力団である柴田組の資金源確保のためあるいはそれに関連してなされた犯行であること、及び被告人らの経歴、前科等に徴すると、原判示第一の犯行につき、被告人井上が右犯行当時少年であつたこと(但し、約一九才七か月に達していた。)、同被告人以外の被告人らのうち被告人橋本を除く被告人らが被告人井上の刃物による攻撃を予見していたことは証拠上明らかでないこと、原判示第五の(一)の犯行につき、被害者千代に対し全額被害弁償がなされていること、原判示第九及び第一〇の各犯行の規模はさほど大きくはないこと、被告人姜の懲役刑の前科は古いこと等所論指摘の被告人らに有利な情状を考慮しても、前記被告人らに対する原判決の量刑が不当に重いとは考えられない。本論旨も理由がない。

以上の次第であつて、本件各控訴はいずれも理由がないから、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、当審における未決勾留日数の本刑算入につき刑法二一条を適用して主文のとおり判決する。

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